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岐阜城 〜信長が天下布武へ足がかりとした岐阜城と織田一族〜

 岐阜城は美濃平野を一望する金華山(標高329m)の山頂に築かれ、織田信長が天下布武に向けて第一歩を踏み出した城として有名ですが、建仁元年(1201)二階堂行政が山頂に砦を築いたのを創築とし、本格的な城が築かれたのは、15世紀美濃の守護代であった斎藤利永によるとされています。

 この岐阜城は信長の城というだけでなく、司馬遼太郎著書の国盗り物語の舞台にもなり、京都山崎の油商人・山崎庄五郎(後の斉藤道三で、別名を西村勘九郎、松波庄五郎、または長井新九郎と名乗ったとされる)が美濃一国を乗っ取た城としても知られています。また、京と東国を繋ぐ要衝の地にあったため、戦国期には攻防が繰り返され七度も落城するという希有な歴史を辿った城でもあります。

岐阜城天守閣
岐阜城天守閣


 弘治2年(1556)美濃の斉藤道三が嫡男・義龍との戦いに敗れて戦死すると、信長は永禄4年(1561)から美濃攻めを開始。永禄10年(1567)斉藤龍興(義龍の子)が楯籠もる稲葉山城を攻め落とし美濃国を支配下におくと、居城を小牧山城から稲葉山城に移し井之口を岐阜と改め、同時期から天下布武の印を使うようになります。

 天正3年(1575)長篠・設楽原で甲斐の武田勝頼を破った信長は、翌年に天下布武の象徴ともいえる五層七重の天主をもつ安土城を築き、それまで居城としていた岐阜城を嫡男信忠に譲った。
 天正10年(1582)6月2日、明智光秀の突然の謀反によって信長は本能寺で自刃。信長と共に京にいた嫡男・信忠も二条御所で戦死したことで、信長の後継者は二男・北畠信雄、三男・神戸信孝のいずれかと衆目の一致するところであったが、同年6月27日に織田家の継嗣(けいし)、および領地再分配の会議(清洲会議)の結果、織田家の家督は羽柴秀吉が推挙する信忠の嫡男・三法師(当時3歳)と決まり、三法師は近江国坂田郡と安土城、二男・信雄は尾張・伊賀・南伊勢と共に清洲城、また三男・信孝は美濃一国と岐阜城を相続した。

 清洲会議の後、重臣筆頭としての発言権が低下した柴田勝家は美濃の織田信孝、元関東管領で北伊勢に戻った滝川一益と反秀吉戦線を張り、信忠の嫡男・三法師を擁する羽柴秀吉との軍事的緊張は天正11年の賤ヶ岳の戦いへと発展していく。賤ヶ岳での敗戦をきっかけに柴田勝家が滅びると、信孝は秀吉軍に岐阜城を攻められ、囚われの身となって知多の野間・安養寺で切腹させられます。
信孝が残した世辞の句「昔より主をうつみの野間なれば、報いをまてや羽柴ちくぜん」には、主筋に刃向かう秀吉に対して激しい怒りが詠まれています。


金華山山頂の岐阜城

 落城した岐阜城には秀吉の家臣・池田元助、天正12年(1584)には池田輝政が入りますが、天正19年(1591)に池田輝政が三河吉田に転封となると、長じて織田秀信と改めた信長の孫・三法師が、秀吉の計らいで美濃岐阜13万石を領有して岐阜城主となります。
 慶長5年(1600)石田三成等が関東の徳川家康に対して軍を起こすと、秀信は家臣の反対を押し切って西軍に荷担しますが、関ヶ原の前哨戦で東軍に攻められ、激戦の末岐阜城は落城し秀信は降伏します。降伏した秀信の処遇をめぐっては東軍の間で意見の対立があったとされ、徳川家康への配慮から秀信切腹さすべしとの声のある中、福島正則が助命を主張したことが「改正三河後風土記」には次のように記されています。
「我等は織田家へ荷担すべき筋目にあらずといへ共、さすが信長の嫡孫也。味方にも旧好恩顧の輩なきにもあらず。むざむざと死罪に行はんも情なし。降参ある上は助命せずばあるべからず。もし此事内府の心に応ぜずば、正則が此度の骨折を無にせんより外候はず」、
“助命したことが家康の不興をかうならば、自分の戦功と引き替えにするだけである”との福島政則の嘆願により、切腹を免れた秀信は高野山に送られ、慶長17年(1607)同地で死去(享年26歳)。
 関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、慶長6年(1601)岐阜城を廃し、新たに加納城の築城を奥平信昌に命じ、岐阜城の櫓などは加納城に移されたといわれています。

 現在の金華山山頂には模擬天守が建てられ、美濃平野のどこからでも見ることのできる天守閣は戦国期における岐阜城をイメージさせてくれます。
 金華山山頂へはロープゥエーでも上れますが、是非とも歩いて登って欲しいと思っています。山頂へは馬の背道で約20分程度、瞑想の小道からだと 30〜40分程度で登ることが出来ます。その他に百曲道,七曲道等四つのルートがありますが、馬の背道を登られる場合は足下を固めてから登って下さい。

金華山山麓の信長の館跡
金華山山麓の信長の館跡

 なお、金華山西麓には信長の館跡が保存され、市内にある織田家の菩提寺崇福寺には、関ヶ原の戦いで岐阜城の落城と共に戦死した三八名の将兵たちの菩提を弔うため、血痕のついた岐阜城の床板が本堂の天井に張りめぐらされています。

岐阜城:岐阜市金華山 金華山山頂へは約1時間、ロープウェーでも登ることができます。
崇福寺:岐阜市長良福光2403 拝観料150円


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