所在地:甲府市上積翆寺町
別 名 :古城
築 城 :永正7年(1582)
初城主:武田信虎
区 分 :山城
遺 構 :門跡,石積み(石垣),土塁,
堀切,井戸,土橋
城 域 :600m×150m 標高 787m
比高 260m
国指定史跡
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武田神社から県道31号線を約2km北上、積翠寺
詳細位置はコチラ
要害温泉前の空地を利用
【訪 城】2001年9月
【撮 影】2001年9月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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躑躅ヶ崎館の北東約2km、積翠寺の背後の要害山(標高787m)の山頂付近に築かれており、城域は西尾根の広い範囲にわたっている。
要害温泉の横から登山道が延びており、約30分ほどで主曲輪に出るが、その間、土塁と石積みで築かれた8つの門跡がある。
主曲輪は城内最大の曲輪で、東西約80m、南北約30m、周囲には高さ1〜2mの土塁を巡らし、東西に虎口がある。この虎口、
"折れ" とは云えないまでも、いずれも横矢を意識した構造となっている。主曲輪の背後、尾根筋は3箇所に竪堀と土橋を配し守りを固めている。なお、この要害山の東尾根には「くま城」とも呼ばれる要害城東遺構(南遺構とも云われる)がある。
要害山城は武田信玄(幼名を勝千世)の生まれた所とされ、主曲輪には武田信玄誕生の地を示す石碑が建てられている。

随所に見られる石積み |
おおよそ、武田氏の入ったとされる城の中で、ここ要害山城のように石積みのある城は山梨県では湯村山城、長野県では髻山城と非常に数少ない。(他にもあったかも知れませんが、すぐには出て来ません)(^^;
こうしたことを考え合わせると、要害山城も含め、これらの城の石積み遺構は、後年甲斐を支配した徳川方によって築かれた可能性が高いと考えられる。
高白斎記には永正十七年六月の条に、「晦日、積翠寺九山ヲ御城被取立・普請初ルル(閏)六月朔実日、信玄公丸山ノ城ニ御登リ香積寺被下」と書かれており、同17年に築かれた躑躅ヶ崎館の館と共に、甲斐国内と統一した武田信虎が居館と詰城をセットして築いた戦国時代の典処的な城郭の形態をとっている。
武田信虎によって構築されてがら韮崎新府城に移るまでの間・六十年にわたり、甲斐武田氏の本城として機能した。
武田氏滅亡後も、甲府城が完成するまでは躑躅ヶ崎館と同じように、なんらかの形で存続使用されたと考えられている。
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