所在地:北杜市須玉町若神子
別 名 :古城
築 城 : −
初城主:新羅三郎光義
区 分 :平山城
遺 構 :横堀,堀切
城 域 : − |

国道141号線、正覚寺南側の道を西に入り道なり。
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路上駐車10台程度
【訪 城】2005年8月
【撮 影】2005年8月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |

若神子城は須玉町ふるさと公園として整備され、芝生の中に土塁や堀などが残されているが、大勢の人が遊びに来るせいであろうか、いずれも斜面はなだらかになり、土塁は低くなってしまっている。
若神子城の北側は急傾斜地で眺望が開け、甲信国境の山々が望める。また、南側は谷に落ち込む地形で、細長い砲弾型の丘陵地に築かれている。
ほぼ中央部の曲輪に烽火台が復元され、当時北向き(獅子吼城方面)に烽火を上げていた様子を窺い知ることができる。
また、天正壬午の乱の際、北条方が構築したとされる薬研堀の空掘が整備されている。
薬研堀は幅1m、深さ1.2m、長さ10mで発見され、規模と配置から構築中のものであると推定されている。
なお、この須玉町ふるさと公園として整備されているのは若神子城の東城であり、南に連なる尾根に若神子城・大城,若神子・東城と位置している。
近くには大豆生田砦や、重久烽火台,中尾塁などが、ほぼ2kmの範囲内に点在している。
若神子城は「古城」あるいは「大城」と呼ばれる遺構を中心に東に北城、湯沢の西に南城の三箇所からなる山城の総称である。
連郭式といわれる中世の古い形態を残す山城で新羅三郎義光によって築かれたと伝えられている。「甲斐国志」に「若神子、多麻庄二属セリ。天正壬午8月ヨリ北条氏直本陣ヲ居キシ処・・・・」とある。
即ち、天正10年(1582)武田氏滅亡後、信州から侵攻した北条氏直の相模勢と家康が率いる徳川勢が対峙した時、古城に籠もった北条軍が構築した薬研堀が主郭部から2カ所、発掘調査によって検出された。更に、主郭部から東端から厚く焼土が堆積した跡が発見され、南端部からは見張り台の跡と思われる柱穴と堀り方も検出された。
往時、「塩の道」ならぬ「のろしの道」の情報、通信拠点としての若神子城に、つるべ式烽火台を復元し、戦国の情報伝達を今に伝え、生きた教育書の一助となることを願います。
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