所在地:南巨摩郡身延町梅平
別 名 : −
築 城 : −
初城主: −
区 分 :山城
遺 構 : −
城 域 : −
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国道52号線身延町役場の西約1km
詳細位置はコチラ

専用駐車場を利用、約10台駐車可
【訪 城】2004年8月
【撮 影】2004年8月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★☆☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★☆☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★☆☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |

南部氏館は南巨摩郡南部町南部にあるが、身延町にも南部氏館がある。
身延町梅平の身延山鏡圓坊の西側背後の山が南部氏の館跡であるとされる。
この時は、目的地に移動中のため、南部氏館の遺構確認はできず。
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南部氏は甲斐源氏の一族、加賀美遠光の子・南部三郎光行に始まる。
甲斐源氏は源頼朝の子新羅三郎義光から出た。義光−義清−清光−遠光を経て光行−実長と続く。
光行父子は甲州南部を与えられ、ここを拠点に南部氏として発展した。
光行父子は文治5年(1189)源頼朝の奥州藤原氏征伐に従って勲功をたて、恩賞として奥州糖部5郡を与えられた。
建久2年(1191)光行は実長一人を甲州に残し一族を引き連れて奥州に下向した。奥州南部氏の起源である。
一人甲州に残った実長は波木井や飯野、南部の地を領有し、ここ梅平の地に居を構えた。
実長は日蓮上人深く帰依し、文永11年(1274)所領を寄進して聖人を身延山に招き、外護につとめた。身延山久遠寺の始まりである。
南部氏は8世の子孫政光が八戸に移るまで、および200年この地に住した。
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