所在地:韮崎市神山町鍋山
別 名 :鍋山砦
築 城 :12世紀初頭
初城主:武田信義
区 分 :山城
遺 構 :堀切,竪堀,土塁
城 域 :200m×250m 標高 567m
比高 120m
国指定史跡
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国道20号線(甲州街道)から武田橋を渡り、県道2号線の武田八幡宮入口の交差点を西へ入る、武田八幡宮
細位置はコチラ

白山神社境内に2〜3台、武田八幡宮には20台ほどの専用駐車場あり
【訪 城】2001年9月
【撮 影】2001年9月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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釜無川の西岸、武田氏発祥の地である武田八幡宮の南側に張り出した丘陵の山頂付近に築かれている。登城口は白山神社横と、武田八幡宮からの2箇所あるが、白山神社の位置が少々分かりづらく、武田八幡宮から登るのがお勧めか。
白山神社からは約10分ほどで城域に着く。縄張りは周囲に土塁を巡らした主曲輪を中心として北に馬出状の曲輪、南に数段の小曲輪を設けた小ぶりな城である。
この城の特徴は北側の馬出状曲輪と、主曲輪を中心とした斜面に配された放射状の竪堀であるが、こうした特徴は、白山城が武田氏発祥の地・武田八幡宮の背後の山に位置するだけに、武田築城法の特徴を現しているという説もある。しかし、武田氏滅亡後の天正壬午の乱に徳川氏が入城していることを考えると、現在の白山城の特徴が必ずしも武田系城郭の特徴を現しているとは言い難い。また、これらの遺構が必ずしも明瞭でなく、特に虎口などは見方によってはいろんな形状が考えられることが話をよけいにややこしくしている。(^^)
過去に武田氏が入城したとされる数々の城を観てきた個人的な経験から云えば、北側の馬出状曲輪、および放射状竪堀は決して武田氏の特徴とは云えない。
ただ、白山城の立地する地形は比較的斜面がなだらかであり、斜面に竪堀の必要性から掘られた結果として放射状竪堀になった可能性はある。
いずれにしても、大永〜天文年間初期における武田氏の城であることは疑うべくもない。そして、武田氏の築城術はこの後大きく変化を遂げる。
甲斐源氏逸見源太清光の子信義は、生地逸見から分封して武田庄の庄官となり武田八幡宮で元服して武田太郎と名のった。信義は居館を武田に構えて要害城を八幡宮の南の山に築き、城山といったが後生、麓の白山社にちなみ白山城とも呼ぶ。
信義の後は武田一門の一条氏、その氏族武川衆の青木、山寺氏が相次いで守ったが、江戸初期寛文年間に廃城となった。
城跡には本丸、二の丸、三の丸、竪堀、物見道などの遺構が見られる。
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