所在地:南都留郡富士河口湖町本栖
別 名 : −
築 城 : −
初城主:武田氏
区 分 : −
遺 構 :石積み
城 域 : −
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国道139号線、上九一色中学の北、約500m
詳細位置はコチラ

本栖城の下、国道139号線脇に2台ほどのスペースあり。
若しくは、上九一色中学前の道路
【訪 城】2003年8月,2007年8月
【撮 影】2003年8月,2007年8月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |

本栖城の南、樹海の中の石積みを「青木ヶ原の樹海遺構」と呼ばれている。現在では国道139号線が樹海の遺構を分断する形で走っている。
本栖城は中道往還を眼下に押さえる位置にあり、青木ヶ原の樹海遺構も中道往還を監視するためのものと考えられ、武田軍が構築したものと考えられている。
中道往還は東海自然歩道が一部同じルートを辿っており、自然歩道を歩くと樹海の中に石積み遺構を観ることが出来る。
国道139の西側(本栖城南方)の樹海の中には少なくとも3カ所の石積み遺構が確認できるが、最も規模の大きな石積みは、形からして関所のようなものが置かれていたのではないかと考えられる。
また、国道の東側の樹海の中には高さ2m余りの石積みが中道往還と直行する形で壁のように延々と築かれている。おそらくは中道往還から外れて通り抜ける者を阻止する目的で築かれたのであろう。
見通しのきかない樹海の中を方角だけを頼りに先人たちによってつけられたであろう中道往還と共に、樹海の石積み遺構は国道横にありながらも幻想的である。
本栖城は天文,永禄年間(1532〜1570)頃に武田氏による領国支配が確立し始める頃から甲斐と駿河国境の境目の城として、九一色衆によって守備されたとされ、青木ヶ原樹海の遺構も本栖城に関連した施設であろうと考えられている。
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