富田城
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【城郭の概要】
所在地:小笠郡菊川町富田字長行平
別 名 :長行山城
築 城 : −
初城主:徳川家康
区 分 :山城
遺 構 :堀切,
面 積 : −






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主曲輪北側の堀切

 国道473号線から県道234号線に乗り換え、富田橋の北で菊川カントリークラブの外周道路に入る
詳細位置はコチラ 
・駐車:路上駐車
・撮影:2004年4月
・訪城:2004年4月

遺構の保存状態 ★★☆
遺構確認し易さ ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆

の数の多い方が良い(または、激しい)
【現地の状況】
 菊川市内を見下ろす高台にあり、東には富田川が、南側には富田川と合流した菊川が山裾を洗う要害地に築城されている。特に南側は高低差のある菊川の河岸段丘をなし、容易に人を寄せ付けない。
 現在では東海道新幹線のトンネルが城域の真下を通り、菊川カントリークラブが北側に造成されているが、幸いなことに城域のほぼ全容が残されている。
 菊川カントリークラブの外周道路が大きくカーブする地点の道路脇に車を止めると、そこはもう主曲輪下に位置している。曲輪配置は主曲輪を中心にして北南に幾つかの曲輪を配したシンプルな造りであるが、主曲輪の南北にはしっかりと堀切を入れた造りである。南側の堀切を介した二の曲輪には神社が祭られ、南は比高差40〜50mの急傾斜をなしている。こうした南側の要害地形に比べ、西側の地形がなだらかすぎて不自然さはぬぐいきれない。おそらく堀か高低差のある切岸で処理していたと考えるのが妥当である。
静岡県中世城館跡にも曲輪,土塁,堀があったが、カントリークラブの造成により消滅したとある。
 この富田城は牧之原台地が落ちこむ西端に位置し、諏訪原城から高天神城に通じる街道筋にもあたり、諏訪原城や高天神城と共に、武田軍と徳川軍の争奪が繰り返されたことは容易に想像出来る。牧之原台地は複雑な地形を造り出しており、台地上、若しくは台地周辺にはこうした富田城のように武田軍と徳川軍の築いたとされる城が点在している。

【城郭の歴史】
 徳川氏によって諏訪原城に対して、再利用されたと推定されている −静岡県の中世城館より−

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