所在地:伊豆市修善寺小立野
別 名 : −
築 城 :康安元年(1361)
初城主:畠山国清
区 分 :山城
遺 構 :土塁・石垣・曲輪
城 域 :50m×200m
標高 248m
標高 約200m
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伊豆市役所の西、約500m通称城山
詳細位置はコチラ
・駐車:空地を利用
【訪 城】2006年12月
【撮 影】2006年12月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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修善寺城は狩野川の右岸、通称城山と称する山頂付近に築かれており、東側は急峻な地形をしており、西側の修善寺道路のトンネル南出口付近山に入る。
比較的なだらかとはいえ伊豆の山、息を切らして焼く30分ほども登ると、堂宇が建てられ、土塁を巡らせた曲輪(南曲輪)に着く。
南曲輪から帯曲輪を経て主曲輪に至る、主曲輪の周囲に大きな石で組んだ石積みがあるが、果たして当時のものか。主曲輪東側斜面には土止めの石積みを確認する。人頭大でこちらはどうやら当時の石積みのようである。
主曲輪の北方尾根には曲輪が続き、先端の曲輪からの眺望は絶景。主曲輪南側、下がったところに 畠山国清古戦場の碑が建てられている。
下山してから気がついたのだが、城山南側の城山神社から登るのが大手道のようだ。
康安元年10月、鎌倉公方の執事畠山国清は管領足利基氏に反旗を翻し、一族郎党500余騎を引き連れ伊豆で挙兵。
修善寺城を本城とし、狩野川西岸の金山城、および三津城を築き、弟の義深,義煕を配した。
鎌倉公方足利基氏は関八州の軍勢を集め攻めたてたため、金山城,三津城に続き本城の修善寺城も落城した。
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