所在地:裾野市千福
別 名 : −
築 城 :室町中期
初城主:葛山氏
区 分 :平山城
遺 構 :土塁,空堀,竪堀
城 域 :320m×170m
標高 214m
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国道246号線千福の信号を西入る、県道24号線(富士裾野線)から普明寺へ
詳細位置はコチラ
・駐車:普明寺の駐車場を利用
【訪 城】2001年2月
【撮 影】2001年2月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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普明寺の墓地から裏山へ入るとすぐに曲輪が連続して続く。主曲輪をとり囲むように幾つもの曲輪が配置されており、主曲輪の北側に配置された空堀の規模は幅25mほどにもおよび、見るものを圧倒させる。
この大空堀は、地域的なことや規模から考えても後北条氏により掘られたことが推察される。
城域の西北端は東名高速道路の造成で削られてしまっているのが残念だ。
千福城には初め葛山備中守が、後に御宿勘兵衛正倫(まさとも)が居住したと伝えている。
御宿・葛山・大森はみな同族で、御宿氏は同族の葛山氏と共に今川家に仕えたが、勘兵衛正倫は、のち武田氏の被官となり、武田勝頼滅亡後は一時越前の松平忠直に仕え、さらにかに秀頼に転仕して、大坂夏の陣に討死したという。
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