| 大鐘屋敷 |
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| 【城郭の概要】 所在地:榛原郡相良町片浜字大磯小字鳴門 別 名 : − 築 城 :安土桃山時代 初城主:大鐘定綱 区 分 :館 遺 構 :長屋門,母屋 面 積 :70m×75m 標高 20m 比高 15m 国指定重要文化財 . |
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150号線、片浜地区から旧道へ 詳細はコチラ ![]() ・駐車:専用駐車場を利用 ・撮影:2003年8月
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【現地の状況】 国道150線から約100mほど西に入った所に位置し、屋敷前を田沼街道が通っている。田沼街道は道幅2〜3mで、昔の街道の趣を良く残している。 大鐘屋敷の長屋門は非常に状態よく残されており、とても18世紀の建築物とは思えないほどである。このように状態よく残されている門を見るにつけ、近江・膳所城の城門も今からでも保存を考えて欲しいものだとフト思ってしまった。(^^; 【城郭の歴史】 母屋は18世紀前半、長屋門は18世紀後半の建築であると考えられます、母屋は明治中期以前まで草葺きで静岡県最古の古四間取形式と云われ、構造・手法は江戸初期の屋敷構えを良く残しています。 大鐘家は慶長2年(1597)越前の国(福井県)の柴田勝豊の家臣大鐘八郎貞綱が、当地大磯村に移り住んだと伝えられ、17世紀後半からは代々大庄屋をつとめていました。
【田沼街道】 遠州の城下町(相良)と東海道の宿場の藤枝を結んだ街道で相良街道と呼ばれている。 宝暦8年(1758)田沼意次が相良藩主となり城を築き、街道,港,橋を整備して、地域産業の発展に貢献した。この意次が整備した道であるので田沼街道と呼ばれるようになった。道筋は相良の湊橋を起点として榛原町、吉田町を通り、大井川を越え藤枝市内を北上して瀬戸川西岸で東海道に合流した。その間の距離は約7里(約28km)である。 今日でも田沼街道と呼ばれることは沿道地域住民に交易など広く恩恵を与えた結果であろう。
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