| 太平(おいだいら)城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:浜北市大平 別 名 :大退羅城 築 城 :南北朝期 初城主: − 区 分 :山城 遺 構 :堀切,土塁 面 積 :600m×500m 標高 100m . |
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・県道68号線(浜北三ヶ日線)大平地区県道沿い ・駐車:駐車場10台 ・撮影:2001年5月
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【現地の状況】 広大な城域でくまなく見て回るには、相当な時間が必要。 南北朝時代の遺構にしては、曲輪の削平もきれいであり、堀切も見事に残っているが、やはり山の険阻さに頼っている点は否めない。 【城郭の歴史】 大平城は南北300m、東西400mの南北朝時代の山城(尾根式複郭型山城)である。現在、樹木に覆われているため外観では普通の山にしか見えないが、山の南側は複雑に谷が入っており、北側と西側は断崖となっている。また、城の南側には灰の木川が流れ、天然の堀となっている。東側は尾根続きとなっているため、大規模な堀割が造られている。 城は自然地形を利用して、曲輪を縄張りしており、南城と北城の二区画に区分され、一城別格の形態をなし、北城が中枢部で、南城は二次的機能を持っていたと考えられる。 大平城は南朝方についた引佐町にある三岳城を本拠とする井伊氏の支城のひとつとして築かれた。井伊氏は三岳城を中心に南を浜松市の鴨江城、西を三ヶ日町の千頭峯城、東を大平城と支城を固めた。 井伊氏は南朝の後醍醐天皇の皇子の宗良親王を迎え、遠江の南朝勢力の中心となった。 大平城の南朝軍と足利尊氏の命を受けた高帥泰率いる北朝軍の攻防戦は暦応2年(延元4年・1339年)から翌3年(興国元年・1340年)にかけて繰り広げられた。この時の戦いの様子は三ヶ日町の大福寺に残る「瑠璃山年録残編裏書」に詳しく書かれている。 この資料を要約してみると歴応二年七月二十二日、北朝方の高師泰(越後殿下)の軍が大平城に侵攻し、高師兼(尾張殿)の軍は浜名方面に侵攻した。 七月二十六日に鴨江城が落城し、十月三十日に千頭峯城が落城した。翌年の歴応三年正月三十日に三嶽城が落城した。そして、八月二十四日に大平城が高師泰と遠江国守護の仁木義長の軍によって落城したことがかかれている。 こうして南朝方は、遠江での拠点を失い、宗良親王は信濃国へ落ちていった。その後、大平城は歴史の上にも登場することはなかった。
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