韮山城の付砦・天が岳砦,和田島砦攻城記
HOME静岡県の城郭伊豆の城郭

この攻城記は某MLに2002年10月に投稿したものをそのまま掲載しています。

韮山城周辺の砦群は興奮度 120% !

 天ケ岳砦和田島砦韮山城東側の池の周囲を取り囲む壁のような山に築かれています。車を池の横の駐車場に置いて、韮山城南端の堀切から取り付きました。
登り出してまもなく、手がかりがないと登れない急斜面に出ます。
そこには誰が取り付けたのかロープがあり、ロープと斜面に生えている木立に捕まりながら10分ほど登ると天ケ岳砦に出ました。北方の視界が開け、見下ろす位置に韮山城の本丸が手に取るように見え、この砦が韮山城と連動して機能していたことがビジュアルに確認出来ます。

 砦は平坦ながら狭い尾根(幅3m〜6m)に築かれています。この尾根の東西斜面は崖状で、特に西斜面はオーバーハングしているのではないかと思うような切り立った斜面です。
高所恐怖症の私は覗き込みことができませんでした。
こんな急斜面にも関わらず、崩落しないのは木立がしっかりと根を張っているからだと思われます。

 尾根の南端は四等三角点、ここから南へ延びる支尾根は比較的なだらかですが、相変わらずの痩せ尾根です。
この尾根を下るとすぐに堀切があります。この堀切は堀切った痩せ尾根を更に削り取って幅1mほどの土橋としています。こんなデンジャラスな土橋はみたことがありません。
さらに下ると4条の堀切があり、近江の鎌刃城の南東尾根の堀切を小振りにしたと云えば分かりやすいでしょうか。

 堀切を確認したところで和田島砦へ向かうことにし、三角点まで引き返しましたが、三角点からは和田島砦のあるという南西尾根がありません。
よく見てみると、斜面に1本のロープが渡してあります。まさかあれが道?・・・・、藪の中なら立派な道ですが、斜度50〜60度の斜面にあっては、どうみても道とはいえません。
ここまで来てき返したとあれば "近江衆の名が廃る" と覚悟を決めて降りることに。ロープを伝わり斜面を回り込んでみると、そこは斜度60〜70度の斜面が・・・・、「な、なんじゃーこりゃー!」
しかし、高所恐怖症の私と云えども、ここでは「ええーぃ、山城で死んだら本望じゃ〜」とばかりに開き直るしかありませんでした。

 この斜面を20〜30m降りる堀切にかけた土橋を経て、やっと普通の尾根にでます。(普通という表現は適切ではありませんが、とにかく普通の尾根なんです)帰るときは今降りてきた斜面をどうして登ろうかと考えつつ、普通の尾根道を下ると、平場には南向きに高さ1mほどの土塁が確認できます。さらに進むと、また絶壁!・・・と思いきや、今度は深さ7〜8mほどの堀切でした。
堀切と竪堀を組み合わせてあります。普通の堀切なら、斜面をザザー、ザーと格好良く降りるのですが、この堀切はそういうわけにはいきません。斜度はほぼ90度になっています。
土の城で、そんな馬鹿な!とお思いの諸兄は斜度を10度ぐらい差し引いて想像ください、なにせ高所恐怖症の私が書くこと、多少の誇張あるかも・・・・・。(^^;)
迂回コースを取ることにしましたが、迂回コースの下はさらに深い竪堀となっており、文字どおり "へっぴり腰" で降り、さらに遺構はないかと探しましたが、先ほど降りてきた斜面をどうして登るものかと気になり、城域はこの堀切までと
勝手に決め、ここで撤退してきました。
 30mの斜面をどうして登ってきたかって・・・、登るときは降りる時よりは怖くないもので、おまけに別ルートを見つけ、比較的簡単に登ることができました。ここで一句、「幽霊の正体みたり枯れ尾花〜」

 下山は天ケ岳砦まで戻り、東に延びる尾根を江川邸まで降りるつもりでしたが、ルートを間違い、藪こぎをしながら下山すると、我が愛車が止めてある駐車場に出てきました。
この下山ルートも幅30cmほどの土橋や土塁、さらには高さ2mほどの切岸で何段にも防御されていました。山塊全てを踏破したわけではありませんが、全山が要塞化されているいることを確信しました。
 行程1時間20分のデンジャラスな城攻めで、興奮度は120%でした。
私的には韮山城は★★ですが、これら砦群を併せて廻ると★★★になること間違いありません。
ただし、お出かけの際は、しっかりと足下を固めてお出かけください。

 久しぶりに興奮した城攻めで、投稿内容にも多少誇張したところがあるかもしれませんが、真意のほどは現地にてお確かめください。
しかし、この砦群を観ることで天正18年(1590)の秀吉の北条攻めに際し、北条方が泉頭城戸倉城を引き払って、この城に兵力を集めた必然性や、最後まで落城しなかった理由なども、理解できるのではないかと思います。



2002年10月19日攻城  野暮

HOME静岡県の城郭伊豆の城郭


近江の城郭