所在地:田方郡韮山町四日町
別 名 : −
築 城 :永禄2年(1458)
初城主:足利政知
区 分 :館城
遺 構 : −
城 域 : −
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下田街道(国道136号線)北条の信号を東入る
詳細位置はコチラ 
駐車:なし(願成就院に5台程度)
【訪 城】2002年10月
【撮 影】2002年10月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★☆☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★☆☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★☆☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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下田街道(国道136号線)から路地を入った所に御所跡と伝えられる空き地がある。
また、近くの願成就院には茶々丸や北条時政公の墓等がある。
室町幕府も第八将軍足利義政の頃になると、幕府の威令も漸く衰え、関東は幕府に背く勢力の増大で乱れに乱れた。
このため将軍義政は永禄2年(1458)夏、実弟である足利政知を関東に下向させ、関東鎮圧を企てたが、政知は鎌倉入りできず、やむなくここ韮山堀越の地に居館を構え、機を窺うこととなる。これが「堀越御所」である。 政知には長子「茶々丸」が居たが、後妻の子との世継ぎ問題で内輪もめが絶えず、延徳3年(1491)に政知が病没するや、茶々丸は継母・義弟の他、重臣をも斬るに及んで御所は内乱状態になった。 この機に乗じ沼津興国寺城にあった伊勢新九郎長氏(後の北条早雲)は直ちに御所を急襲して茶々丸を滅ぼし、ここに33年間在住した「堀越御所」は消滅することとなる。 尚この地は、鎌倉幕府の執権として威勢を振るった北条氏の本拠地でもあり、昭和57年以来、数次に亘る発掘調査でも12世紀末から15世紀後半にかけた当時の上流階層が使用したと思われる遺構、遺物の検出を見ている。 また、現在でもこの付近の小字名」御所之内」、「築山」等が残されているのも。これらを窺わせている。
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