| 三岳城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:引佐郡引佐町三岳 別 名 : − 築 城 :南北朝期 初城主:井伊道政 区 分 :山城 遺 構 :土塁,空堀,枡形 面 積 : − 標高 467mm 比高 − 国指定史跡 . |
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国道257号線井伊谷の信号を東 ・駐車:三岳神社駐車場約30台 ・撮影:2001年5月
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【現地の状況】 本来なら、三岳城を紹介する場合、「三岳城は井伊谷一帯に勢力を振るった井伊氏の本城である」と紹介するところであるが、このページは「近江の城郭・遠江編」である。従ってここでは井伊彦根藩発祥の地、あるいは井伊氏興隆の城として紹介したい。 井伊氏の興りは井伊谷一帯で、井伊氏の城としては、この三岳城のほか井伊谷城,千頭峯城などがある。 この井伊氏諸城の中にあって三岳城は井伊氏の本城にあたり、三岳山の山頂付近に築かれている。三岳山は井伊谷から北東方向に三つの峰が並んでいることから三岳山の名でよばれ、井伊谷の井伊谷の信号から約3km、この間要所、要所に三岳城への標識が出ており、迷うことはない。 三岳神社の駐車場に車を止めて登ること約10分ほどで虎口に出る。削平は不完全で中世城郭の域を出ない城と思いきや、山頂の主曲輪を同心円上に取り巻くように配置された西側斜面の西曲輪には、内法を石垣で固めた土塁が巡らしている。それも二段にわたって同様の曲輪がある。この石垣遺構が井伊氏の時代のものであるかどうかは考査してみないことには分からないが、石垣が井伊氏の本城にあったと云うだけで妙に興奮してしまった。(^^) 山頂からの眺めは素晴らしく、浜名湖、太平洋までも一望できる。時折ハイカーにも出会う。 【城郭の歴史】 当城は三岳山の山頂にあり、井伊氏の築いた諸城のうちの本城である。南北朝時代、延元3年(1338)秋、後醍醐天皇の皇子宗良親王が再び伊勢より井伊谷に入られ、この城を南朝勢力の遠江における軍事上の拠点となされた。足利尊氏勢の高師康・高師冬。高師兼・仁木義長の大軍に攻められ、ついに興国元年(1340)正月落城し同年八月二十四日夜、詰城大平城も追い落とされて南朝の拠点は失われた。宗良親王は駿河の安倍城に移られたものと推定されている。その後戦国期元駿河守護であった美濃の斯波義達が井伊谷に入り、引馬城大河内貞綱と井伊氏がこれにくみした。今川氏親は細江町刑部城・堀川城に伊達忠宗を入れて前進基地として三岳城を攻めた。永正10年(1513)に掛川城・城主朝比奈泰以を主力とする今川勢の総攻撃によって落城した。 この城は山頂から尾根に沿って細長く築かれ、一の城,二の城。三の城と分かれ、深い谷や急な斜面など峻険な自然地形を巧みに利用し、中世城郭の典型的な形態を有している。 ・一の城 山頂にあって一番大きく、大型の土塁を幾重にも巡らせ、谷下・兎荷方面からの攻撃を防ぐ。 ・二の城 一の城より東の高地一帯にあって、川名・滝沢方面よりの敵を防ぐ。 ・三の城 現在の三岳神社の境内にあり本丸に迫る敵を阻止し、山城で一番重要な水を確保する役割を果たした。 宗良親王の庵室もこの地にあったと伝えている。籠城中に後醍醐天皇の崩御にあわれ、親王は城の紅葉を折ってこれに「おもふにもなほ色浅き紅葉かな、そなたの山はいかが時雨るる」の一首を添えて吉野に届けられた。
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