| 小長井城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:榛原郡本川根藤川 別 名 :小長谷城,徳谷城 築 城 :室町時代 初城主:小長谷氏 区 分 :丘城 遺 構 :土塁,空堀,枡形,井戸 面 積 :200m×200m 標高 310m 比高 100m 町指定史跡 |
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国道362号線B&G海洋センター横 ・駐車:駐車場に10台 ・撮影:2001年9月
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【現地の状況】 大井川を金谷町から遡ること約30km、大井川の河岸段丘に築城されたこの城は、規模はさほど大きくないが、中世城郭としてのパーツや縄張りを十分楽しめる城である。中でも他では見ることの出来ない "重ね馬出" は城郭ファンにとっては堪らない。(^^) しかし、残念なことに主曲輪部に建つ徳谷神社北側の空堀は道路となり、道路から北側の曲輪部はB&G海洋センターが建てられてしまっている。(町指定史跡に、こんなもん建てるか! 腹立たしい想いがする) さて、この重ね馬出しであるが、内側のものは武田氏特有の"丸馬出"で、外側に配置されたものは丸馬出が変形しており、"角馬出" とも見て取れる。多くの城郭研究者の間では角馬出として認知され、なぜ武田氏の城に角馬出があるのか議論がなされている。 ![]() こうした馬出だけでも面白いのに、この城は幾つかの疑問を投げかけてきてくれる。 そのひとつが、この城はなぜか東(山手)に向いて開いて築城されていることである(武田氏の城では馬出を設けているほうが大手である)。地元の地理に詳しくない者の一般的見解としては、城は西向き、つまり大井川沿いの街道に向いているのが普通ではないかと思ってしまった。 もうひとつの疑問は、どうして武田軍がこのような山奥にこうも堅固な城を築城したのかということである。 この疑問を解くキーはやはり「金山」か・・・・・。 この小長井城の馬出を観るにあたっては、規模は違うが同じ静岡県にある小山城と諏訪原城の丸馬出を是非とも観ておきたい。 【城郭の歴史】 小長谷城は「小長井城」または「徳谷城」とも呼ばれ、中世にこの地に住居した武将小長谷(井)氏の居城と伝えられています。築城年代その他の史実は明確ではありませんが、現在残されている遺構は室町時代中期(15世紀頃)以降のものであろうと推定されています。 小長谷(井)城氏は今川氏が駿河守護大名として一帯を支配していた頃今川氏に属していました。しかし、その後永禄11年(1568年)武田信玄の駿河進攻により、武田方に下り武田氏の指揮下の元に城の大改造が行われ、天正10年(1582年)武田氏滅亡の頃と前後して当時の城主長門守政房によって廃城になったものと推測されています。 小長谷城は城郭の種類としては規模はそれほど大きくないが、山地を利用した三段の曲輪配置は中世城郭の平山城に属し、大井川上流地域における歴史を物語る城郭の遺構として高く評価されております。
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