
・交通
県道76号線(富士富士宮由比線)と県道10号線の交差点から県道76号線を南下、儘下町から神明宮へ
詳細位置はコチラ 
・駐車:神明宮横の空地を利用
・撮影:2007年8月

| 遺構の保存状態 |
★★☆ |
| 遺構確認し易さ |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
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★の数の多い方が良い(または、激しい)
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【現地の状況】
北松野城は富士川の右岸にあって、富士川の支流である有無瀬川に沿って張り出した舌状尾根の先端に築かれている。
神明宮からは比高50mほどであるが、神明宮背後は斜度がきつく、また有無瀬川側は崖状地形をなしており、神明宮の西側から痩尾根を登る。
主曲輪を中心に尾根の前後に小曲輪を配し、尾根の前後に堀切を入れている。特に背後は二重堀切とし、堀切を有無瀬川側へ堅堀として落とし込んでいる。また主曲輪の南側には1〜1.5mほどの土塁も廻っている。
小振りな城ながら築城地形を選び、ポイントを押さえた縄張りがなされた城で、永禄11年に武田氏が富士川沿いに駿河に進攻した当時、武田氏により改修されているのであろう。
【城郭の歴史】
北松野城の創築は萩次郎左衛尉門氏誉とされる。
荻氏は武田太郎信義の末裔で、5代慶徳は大永元年(1521)には今川氏に属し、甲斐一条原において武田信虎と戦い戦死している。
6代・清誉は永禄11年(1586)武田信玄の駿河進攻にあたり、今川方として出陣し戦死するが、その子・久誉は武田氏から旧領の内松野郷だけを安堵されている。
9代君誉は、元亀元年(1570)には武田方の穴山信君に仕えていたことが知られている。
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