所在地:富士郡芝川町下稲子
別 名 :葛谷嶺砦
築 城 :室町期
初城主:後北条
区 分 :平山城
遺 構 :土塁・堀切・曲輪
城 域 :750m×300m
標高 240m
比高 200m
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国道52号線万栄橋を渡り、国道469号線を東へ
詳細位置はコチラ
・駐車:なし、峠の空き地を利用
【訪 城】2002年2月
【撮 影】2002年2月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★☆☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★☆☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★☆☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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葛谷城は富士川が芝川町で大きく蛇行することで形成された半島状の付け根に位置している。葛谷峠の狭い道路脇に車を停めて葛谷城の位置とおぼしき山に登ると、そこは遺構どころか、山の外周だけを残して山さえ削り取られて消失していた。これにはあきれかえって我ながら苦笑ものだった。
山は石材採取のため山は大きく削り取られ、山の尾根から40〜60mほどの断崖絶壁となっていた。(^^;
幸いなことに、採石工事の拡張が計画されたときに、1991〜1992年に山梨県南部町と静岡県芝川町による調査団が組織され、調査結果が残されている。
その時に作成された縄張り図からは、一の曲輪は南北28m、東西約20m、二の曲輪は南北40m、東西24mで周囲には高さ1.5mの土塁を巡らし、周囲には空堀を巡らし、最大幅15mを越える大堀切もあったという。
なお、位置の郭内部からは武田信玄公の供養塔があったといわれており、武田氏が駿河との国境防御のために築いた城であったとされている。
南部町の白鳥山城の北にあり、駿河と甲斐の国境の城として注目されるが、詳細は不明。
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