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【城郭の概要】
町指定史跡 |
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・県道389号線を気田川沿いに約10kmほど北上し、小胡桃橋を渡る手前 詳細位置はコチラ ![]() ・近くに駐車場あり、5台ほど駐車可 ・撮影:2008年3月
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【現地の状況】 勝坂城は気田川が狭い地域で大きく蛇行し、三方を気田川に囲まれた天然の要害地形の比高30〜40mの小さな山に築かれている。現在では県道389号線が、幅10mほどの尾根を断ち切って通っている。所謂切り通し道である。 勝坂城への登城道は、県道が通された時に崩されてしまったのか、県道からは手がかり、足がかりのない岩場で、その斜度はまさに絶壁。 今まで数多くの山城巡りをする中、多少の危険はかえりみずに険しい山を登ってきたが、この勝坂城だけは登るのを諦めた。山城を目前に撤退したのは、この勝坂城が初めてである。 徳川方に犬居城を追われ、山間部に逃げ込んだ天野氏が最後に拠った城として一見の価値はあるが、登るにはロッククライミングの経験と器材が必要。
【城郭の歴史】 天正3年(1575)二俣城を攻めるため、毘沙門堂砦,鳥羽山砦,蜷原砦,和田ケ島砦(渡ガ島砦)などを築いた徳川家康は急遽兵を発して光明城を攻めて落とすと、川根方面への出ロにあたる樽山城を井川の安倍大蔵定吉父子に占拠させたのち、同4年7月、犬居城攻めを再開した。 徳川軍によって完全に包囲された天野宮内右衛門景貫は、未完成の犬居城を捨てて最深地の勝坂城に退去した。 勝坂城に立て龍もった天野宮内右衛門景貫は、同部落南境の関門「塩坂」で徳川勢を訪いだが、大久保氏が石ケ嶺(塩坂背後の高地か)に登り、ここから攻撃に転じたため、塩坂と勝坂を開けて勝坂城(猪ケ鼻砦)にに龍もって最後の抵抗を試みたが天野氏は滅亡し、犬居地方は完全に徳川氏の支配するところとなった。 このときの戦いの様子が「三河物語」に以下のように記されている。 ----------------------------以下、三河物語 「天正四年七月日、犬居へ御働有て、樽山の城を責取。其より勝坂へ押寄給ヘバ、潮を坂をもちて入立ざれバ、大久保七郎右衛門尉に、石が嶺へあがりて、嵩よりも追崩せと御意之侯らヘバ、お請を申て、七郎右衛門尉石きりへ移りけれバ、天野宮内右衛門尉叶わじと思ひて、潮坂と勝坂をあけて鹿鼻へ移りて引退きけり」 ----------------------------ココマデ |
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