勝間田城
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【城郭の概要】
所在地:榛原郡榛原町切山字小山段
別 名 : −
築 城 :室町時代初期
初城主:勝間田氏
区 分 :山城 
遺 構 :曲輪,土塁,堀切
面 積 :200m×400m
     標高131m
     比高100m

町指定史跡



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南東尾根の堀切を遠方より望む

 県道233号線(榛原金屋線)切中に案内板あり
・駐車:案内板の駐車場に4台程度
・撮影:2000年8月

遺構の保存状態 ★★☆
遺構確認し易さ ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆

★の数の多い方が良い(または、激しい)







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【現地の状況】
 小さな支尾根が幾筋もあり、尾根によって形成された谷は非常に深い。
郭は尾根上に巧みに配置され、いずれの曲輪も2方から3方は谷に面しており、防御は鉄壁。南東尾根に掘られた5条の畝状堀切が、見所である。


【城郭の歴史】
 勝間田氏は、この地方を本拠地とする豪族で、勝間田平三成長は鎌倉幕府のご家人となり、その子孫の長清は「夫木和歌集」を編纂している。
 元弘の乱(1331)には、河内(現在の大阪府)の赤坂城、千早城の攻防に一族が攻撃側と守備側の両陣営に分かれて参戦していることが記録に見える。
 室町期に入り、将軍の直属軍として応永の乱(1399)や永享の乱(1439)に活躍し、応仁の乱が起こるや今川氏と対立し、今川義忠の猛攻の前に文明8年(1476)遂に落城。一族は四散した。一説には現在の御殿場市周辺に移り住んだと伝えられている。
 応永年間に勝間田定長が築城したと推定されているこの城は、中世の代表的な山城で、牧ノ原台地に連なる尾根を巧みに利用して曲輪,土塁,堀切が設けられ、南東部の尾根には田の城跡に例を見ない鋸状の堀切が見事に残っている。文明8年の落城後、この城が再び使われたとする記録は見あたらないが、遺構からはその後手が加えられた形跡が認められる。
静岡県教育委員会,榛原町教育委員会 現地案内板より

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