狩野城
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 城郭の概要
所在地:伊豆の国市韮山町寺家
     (旧田方郡韮山町寺家)

別 名 :柿木ノ城
築 城 :治承4年(1180)
初城主:狩野茂光
区 分 :平山城
遺 構 :土塁,空堀,堀切,竪堀
城 域 :600m×300m
      標高 189m
      比高 100m

 現地への案内
交通機関は車を利用
(1)国道136号線を南下、柿木橋渡ってすぐ右手に駐車場あり
(2)国道136号線を南下、柿木橋渡ってすぐ右折、柿木川に沿って二筋目を左折

 詳細位置はコチラ
 駐車場
駐車:・駐車:(1) 約10台,(2) 20〜30台

【訪 城】2003年2月
【撮 影】2003年2月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り ★★
普請 ★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

狩野城の曲輪
南郭の南斜面に幾つも見られる小曲輪

 現地の状況
 狩野城は北を柿木川、東を狩野川が山裾を洗う標高189m(比高100m)の山の山頂から三方に延びる尾根上に築かれている。
 登り口は国道136号線の柿木橋のたもとからと、山の西側(搦手)から登れる。
現在西側の登り口も整備されつつあり、こちら側からの方が狩野城が築城されている山の様子も分かりやすく、お勧めである。

 尾根の西から東に連郭式に曲輪が配置され、現地には西から順に西郭,本郭,中郭(南郭),東郭と案内板が建てられているが、本郭は、西と北に高さ1mほどの土塁を巡らした一辺10mほどの方形の曲輪で、狩野城の城域の広さ、および各曲輪が果たす機能から考えて、本来の主曲輪は中郭であると考えられる。
狩野城の縄張り
狩野城の縄張り図

 中郭から南東と南に延びる支尾根には、それぞれ堀切を4本,2本と配し、南西側には削平地、その先の斜面には小さな塁を幾つも築いているのに対し、北及び西側にはほとんど防御施設は見あたらない。
 中郭と東郭の間は強烈な堀切で処理し、東廓の独立性を高めた出曲輪とし、東方面防御の要としてる。こうした曲輪の独立性を強調する考えは河村城(神奈川県)にも観られ、後北条の特徴のひとつともいえる。
本郭に対し、中郭を取り巻く遺構には規模的に考えても明らかに年代差が認められる。これは狩野城が拡張されたときに主曲輪が中郭に変わったと考えられる。


 城郭の歴史
 狩野城は伊豆・狩野氏の歴代の居城であるが、延徳3年(1491)堀越御所足利茶々丸を滅ぼした伊勢宗瑞(北条早雲)によって伊豆全土が制圧される。その時狩野城も北条氏の傘下に組み込まれた。




観光
−源頼家の墓−
 日枝神社の西には義朝の第6子・源範頼の墓がある。鎌倉初期、源範頼は兄・頼朝に命じられ弟義経とともに義仲を倒し一ノ谷の合戦で平家を破り功によって三河守に命じられた。
 1193年の曽我兄弟仇討ちの時、鎌倉へは頼朝も殺されたと誤って伝えられ、悲しむ政子を慰めて「範頼ある限りご安心下さい」といったことから、幕府の疑いを招き、修禅寺に幽閉され日枝神社下にあった信功院で自刃したと伝えられている。


入浴中に殺された源頼家の悲劇と母政子の情愛


−修善寺奥の院・いろは道−

 奥の院はかつて弘法大師が修行した場所といわれる歴史ある寺院で、修禅寺の山門下から奥の院までの間には48の石塔があり、この石塔には「い」から「ん」までの字が彫られており、通称いろは道といわれている。
湯舟川に沿ってのどかな田園地帯を約5kmのウォーキングが楽しめる。


修善寺の歴史施設の案内サイト

日帰り温泉情報

町営温泉 湯の国会館
伊豆市青羽根188
TEL 0558-87-1192 
・大人 800円

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