石脇城
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【城郭の概要】

所在地:焼津市石脇下山崎
別 名 : −
築 城 :文明5年(1473)
初城主:伊勢新九郎長氏
区 分 :丘城 
遺 構 :曲輪
面 積 :160m×30m
     標高 30mm 
     比高 25m




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石脇城は碑の後方の丘

・交通: 国道150号線バイパス、日本坂トンネル約1.5km手前を西入、城山八幡宮
・駐車:路上駐車
・撮影:2001年6月

遺構の保存状態 ★☆☆
遺構確認し易さ ★☆☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★☆☆

★の数の多い方が良い(または、激しい)


【現地の状況】
 国道150号線と東名高速の間にある小さな丘の上にあり、城山八幡宮と大日堂の一帯が城域で、ほとんどがみかん畑になっており、幾つかの削平地が確認できる程度である。

【城郭の歴史】
 この丘陵地には山城があったことを示す曲輪跡と土塁跡が残されており、「石脇城跡」と呼んでいます。
 「早雲寺殿様駿州石脇御座候時より申合」と記された戦国時代のものと推定される古文書(大導寺盛昌書状・江梨 鈴木文書)により、のちに早雲寺殿様と呼ばれる人物が、この辺りに居たことがうかがえます。早雲寺殿様とは北条早雲のことで、伊勢新九郎長氏と呼ばれていた若い頃に石脇の地に住み、城を構えていたと推定されており、寛正年間から文明年間にかけて駿河を支配した守護大名今川義忠の妻・北川殿の兄とも云われています。
 新九郎が石脇に在住の頃、義忠の死により今川家の家督争いが起こった際に、彼は幼い龍王丸(後の今川氏親)と北川殿を小川の法栄長者の居館(市内小川城跡)にかくまい助けたそうです。その後も氏親のために働き、その功により、長享元年(1487)富士郡下方荘十二郷を与えられ、興国寺城主となります。
焼津市教育委員会

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