堀田城
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【城郭の概要】
所在地:小笠郡菊川町西方字堀田
別 名 :松下城
築 城 : −
初城主: −
区 分 :平山城
遺 構 :土塁
面 積 : −






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城内の堀切

菊川駅から東へ約1km、正法寺背後の山
詳細位置はコチラ 
・駐車:正法寺の駐車場を利用
・撮影:2004年4月
・訪城:2004年4月

遺構の保存状態 ★★☆
遺構確認し易さ ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆

★の数の多い方が良い(または、激しい)

【現地の状況】
 正法寺の墓地を抜けて5分ほども急傾斜の階段を登ると堀田城の南側城域に入る。堀田城は東と南を西方川に落ち込む急峻な地形に築かれた、堀切主体の山城で、非常に状態良く保存されている。しかし、近年主曲輪から延びる東側尾根上の4〜5段の階段状の曲輪が、山を削られことごとく破壊されたと聞く。
破壊される前の東尾根の曲輪群

 中世城郭の遺構を良く残す山城だっただけに非常に残念である。しかしながら、この東尾根の遺構が消失したと云えども、残された遺構は、訪れる人を十分に楽しませてくれる。
 堀田城は主曲輪を中心として東尾根(現在は消失したと聞く)と、南尾根、および北に延びる尾根上にには大きくは南尾根に4つ、北尾根に4つほどの曲輪を連郭式に配置し、各曲輪間には見事な堀切を入れた、堀切防御主体の山城である。そんな中にあって、主曲輪の南端に横堀を配することで、形成された虎口は見所である。
 この堀田城の立地を考えると、西の掛川城、南には高天神城、そして北には諏訪原城と、遠江における主要な戦略拠点とほぼ同距離にあり、そのトライアングルの中心的な位置にある。このことは、今川氏にとっても、徳川氏にとっても、永禄12年に遠江に侵攻した武田軍にとっても、この堀田城が戦略的にも重要視されたことは間違いない。

【城郭の歴史】
 この堀田城に関しては静岡古城研究会の水野氏が「古城」の中で、「今川期時代に関与した堀田氏か奥山氏かはこれからの課題ではあるが、今川氏と武田・徳川両氏における抗争期に強力な軍事的要請に対処したのは家康に命じられた大村弥兵衛高信等であろう」としている。
 また、天正3年6月から始まる徳川家康による諏訪原城攻めの時にも利用されたと、述べられている。


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