| 火剣山砦 |
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| 【城郭の概要】 所在地:小笠郡菊川町富田字叶薬師 別 名 : − 築 城 :天正3年(1575) 初城主:徳川家康 区 分 :山城 遺 構 :堀切,井戸 面 積 : − 標高 286m 比高 − . |
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金谷町から菊川神社を経ても良いが、火剣山キャンプ場を経由して行くのが分かり易い。 詳細位置はコチラ ![]() ・駐車:火剣神社下の駐車場の約20台 ・撮影:2004年4月 ・訪城:2004年4月
★の数の多い方が良い(または、激しい) |
【現地の状況】 火剣山砦は牧之原台地上に築かれた諏訪原城の南側の浸食谷を挟んだ火剣山の山頂付近に築かれており、その距離約1.5km、まさに対峙する位置にある。更に眼下に旧東海道をおき、諏訪原城の南方と西方を押さえるに絶好の位置にある。 駐車場からは15分ほどで山頂近くの展望台に出る。ここまで来ると、肉眼でも牧之原台地の様子がハッキリと見て取れる。小夜の中山の旧東海道側を大手とすると、この展望台は搦手側の尾根を固める曲輪として機能していたことになる。 釣鐘堂跡を経て山頂に至ると、狭いスペースに火剣坊大権現が祭られている。おそらくは物見台として利用されていたと考えられる。山頂の東側下に富田光龍寺跡とされる20m×40mほどの平場があり、ここが主曲輪である。 この主曲輪を中心に東と北に支尾根が延び、東側尾根には旧薬師堂跡がある。この薬師堂跡(以後、薬師堂曲輪)が城域の曲輪の中では最も広く、広い曲輪の中央付近に「木製大砲据付跡」と称される窪地があり、東富田史跡調査委員会の建てた碑の紹介には "徳川家康が諏訪原城を攻めた時に木製の大砲を据え付けた" とある。 諏訪原城が徳川軍の手によって落とされるのが天正3年、この時点で木製の大砲があったかどうかは分からないが、当時の大砲に1.5kmも射程距離があったかどうか、少々疑問を感じる、大砲の音で脅かしたのか。(^^) 薬師堂曲輪の杉林を抜けると、展望の開けたなだらかな斜面に出る。ここから見る牧之原台地は手が届きそうな距離にあり、この火剣山砦が諏訪原城の付城として機能していたことを実感する。 北側に延びる細い尾根に配された堀切を介して平場に出る。目立った削平などはされていないが、広さからしても旧東海道側から諏訪原城へ出撃する際の拠点としては申し分ない。城域のどこを歩いても牧之原台地を一望出来、その臨場感には何度も鳥肌が立った。(^^) 【城郭の歴史】 永禄12年(1569)に武田信玄が、遠江進出の拠点として築き、天正元年(1573)武田勝頼が改修した諏訪原城の攻略を企てる徳川家康は、天正3年長篠・設楽原の戦いで勝利した後、諏訪原城の周囲に付城を築いた。その付城のひとつが、この火剣山砦とされる。 |
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