三方原の戦いは、武田信玄が元亀3年(1572)10月3日に躑躅が崎を出発し、西上を果たそうとする中での戦い、あるいは徳川家康が生涯唯一の大敗北を喫した戦い等、戦国期の戦いとしては馴染みの深いものです。
また、この戦いの後に、病に臥せった信玄が駒場(長野県)で、その生涯を終えたことで、信玄の遠江出陣の狙いは何だったのか等と歴史家たちの話題にも事欠かくことはありません。
武田ファンとして、武田軍の行軍ルートや三方原における史跡などを廻りながら、三方原の戦いについて調べるうちに、三方原の戦いが行われた場所については異なる見解があることを知りました。
元々、三方原の戦いが “祝田坂” 付近で 行われた経緯についてはは少々疑問を感じていたこともあって、異説は非常に興味深く、私の探求心を強く揺さぶりました。(^^)
ここでは三方原の戦いにおける史跡の紹介と共に、三方原の戦いにおける通説の疑問点についてもスポットを当てて紹介します。
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