
【現地への案内】
国道20号線飯島の信号を南下、県道183号線を北大熊の信号まで
詳細位置はコチラ 
【駐車場】林道に駐車、1〜2台可
【訪 城】2004年5月
【撮 影】2004年5月

| 評価項目 |
見所評価(三段階評価) |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
|
【現地の状況】
中央高速自動車道が、この大熊城を串刺しにする形で建設されており、南半分の遺構は消失して、主曲輪から北に配置された曲輪がかろうじて残されているが、曲輪の大部分は畑地となり、きれいに整地されている。(^^)
見所は主曲輪周囲に残る横堀である。この横堀は、中信濃において武田軍の入った城には横堀が多用されている点を考え合わせると、天文11年に入った武田氏による改修によるものであろう。
長野においては相対的に高所に城を構えることが多い中、大熊城は比高50mほどの尾根の先端に築城している点は注目される。
【城郭の歴史】
大熊城は千野氏居城と伝えられ、文献上では文明15年(1483)にその名が見られる。諏訪神社上社大祝側に属する山城で、当時対立していた下社大祝金刺氏との攻防の場となった。
天文11年(1542)武田信玄の侵攻によって落城し、天文17年頃破却された。城は三日月形をした自然丘陵上に主曲輪を築き、周囲に六カ所の曲輪を配したいわゆる連郭式城郭である。主曲輪の南側には長さ20mの土塁があり、その上には千野氏の名を刻んだ石祠が建っている。
昭和48年に行われた発掘調査では堀・建物跡・土橋が発見され、築城の様子が明らかになった。また、大熊城に隣接する山城・荒神山遺跡からは城主の居館跡とみられる建物跡も発見された。
|