| 岡城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:上田市岡城 別 名 :古城,岡村城 築 城 :戦国期 初城主: − 区 分 :平城 遺 構 :土塁,空堀 城 域 :450m×210m 市指定史跡 |
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【現地への案内】 国道143号線白銀の信号を北入る、岡橋を渡って200m 詳細位置はコチラ ![]() 【駐車場】公園空地に3〜4台 【訪 城】2002年9月 【撮 影】2002年9月
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【現地の状況】 岡城は青野川の河岸段丘に築城された平城で、背後に青野川を控え、周囲に空堀を巡らした梯郭式の縄張りで、三方に設けられた虎口には丸馬出に三日月堀と武田流の築城術の特徴を備えた城であるが、現在では二の丸の一部が公園となり、本丸は市営住宅となっている。公園の北側の外堀、あるいは主曲輪西側の住宅地の中に残る内堀をつぶさに観ることで、当時の岡城の規模を推察できる。
市営住宅の中に残る内堀、および内堀跡から本丸の大きさは、おおよそ東西100m,南北90m。また公園東側の住宅地の中に三日月堀の痕跡を見いだすことが出来、三日月堀の位置からして、公園東側の道路は外堀であったことも推察できる。 現地では岡城が北東の平野部・上田方面ではなく、真北の山に向いて築かれていることが不可解であったが、この山間に街道が走り室賀峠を経て北10km先には村上義清の居城・葛尾城(更埴郡坂城町)があることで納得。同時に、この城が北をむいていることで北東約10km先の戸石城を、天文20年(1551)年に武田の信濃衆・真田幸隆の調略によって落とした後に武田軍によって築かれたのではないかとも推察された。 【城郭の歴史】 岡城址は天文20年代に武田信玄が川中島進出にあたって村上義清・上杉謙信との戦いの備えた前線基地と云われ、本丸・内堀・二の丸・外堀のほかに武田信玄独特の築城法を示す三日月堀を外堀の外側に三方に配している。 深志(松本)・小諸・海津(松代)・長沼(長野)など武田氏の築城による城が、後の大名によって原型が変えられてしまっている現在、岡城は武田流の典型的な縄張りを伝えていると同時に、東北信最初の平地に築かれた城として貴重な存在である。 この内堀跡は、西側部分で東側は昭和37年団地造成の際埋め立てられてしまった。
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