| 三日市場城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:北安曇郡白馬村三日市場城 別 名 :沢渡城,宮原城,大宮城 築 城 : − 初城主:沢渡氏 区 分 :山城 遺 構 :横堀,竪堀,堀切,土塁 城 域 :約150m×100m 標高 875m 比高 125m 村指定史跡 |
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【現地への案内】 国道148号線、白馬神城の信号を西に入り、南に約1km、神明社 詳細位置はコチラ ![]() 【駐車場】神明社前の空地を利用 【訪 城】2004年10月 【撮 影】2004年10月
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【現地の状況】 三日市場城は神明社の背後の山の山頂部に位置している。本殿背後の支尾根からとりつく。以前は道があったことが伺えるが、雑草と倒木で荒れており、道は無いに等しい。しかし、山頂を目指して登れば間違うことはない。 約20分で三日市場城の西側に巡らされた横堀に着く。山頂部に20m×13mの櫓台の東西に約1mほどの高低差のある袖曲輪を伴った曲輪と、北側の堀切を介して35m×25mほどの曲輪、および二つの曲輪の南北に袖曲輪を配した簡単な曲輪配置である。 いずれが主曲輪なのか判断に迷う。通常は櫓台のあるほうが主曲輪であるが、北側曲輪の西側には横堀を二重に配しており、防御が堅固なほうが主曲輪であると考えるならば、北側曲輪が主曲輪と云える。 西側の横堀は、7条の堅堀とドッキングさせ、特に北側曲輪の西側は高低差のある二重の空堀とし、西方を通る千石街道向きの斜面に対する防御意識が非常に高い。 縄張りの全体としては、高低差を巧みに利用し、堀切から堅堀へ、また横堀へと変化させ、更には横堀と堅堀をドッキングさせるなど、非常に技巧的な縄張りである。 横堀と堅堀の使い方などは、髻山城との共通点、あるいは駿河,遠江における武田系城郭との共通点を感じさせる。 技巧的な縄張りであるにも関わらず、虎口ははっきりしない。東側斜面の帯曲輪の間に、虎口らしきものが認められる。ここが虎口とすれば大手道は東側谷筋か。 【城郭の歴史】 仁科氏の重臣・沢渡氏居城で、大文字一揆のなかに沢渡五郎の名が初見される。生島足島神社の起請文に沢渡兵庫助盛則の名が出てくる。仁科氏滅亡後は小笠原貞慶に属し、下総に従っている。伝承によると天正年間に武田氏により居館は破壊されたとあるが、その後も使われた可能性が高い。 |
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