| 小諸城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:小諸市小諸丁 別 名 : − 築 城 : − 初城主:小室太郎 区 分 :平山城 遺 構 :土塁,横堀,石垣,大手門,三の門 城 域 :350m×500m |
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【現地への案内】 国道141号線から小諸駅裏の懐古園内 【駐車場】専用駐車場 【訪 城】2002年7月 【撮 影】2002年7月
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【現地の状況】 城を大別すると平城、平山城、山城と分けることができる。いずれも周囲よりも高いところに築城するのが常識である。ところが、この小諸城は周囲の地形からも最も低い場所に築城されており、別名を「小諸の穴城」と表現されている。おまけにこの城は、築城の名手とされる武田の山本勘助と馬場信房が築城したというから、この上なく興味を引かれる城である。 どうして周囲の地形よりも低いところに築城したのかは、現地へ行けばすぐに分かることであるが、簡単にこの辺りの地形を説明すると、浅間山麓のなだらかな丘陵地が数十メートルの落差を持って千曲川に落ち込む丘陵地の最端部に千曲川を背にして築城されている。もうひとつこの城のすごいところは、この丘陵地が浸食を受けて深い谷をあちこちに形成しており、この深い谷を堀として利用しているため、とてつもないスケールの空堀が城の周囲に巡らされている。 また、近世城郭には珍しく本丸前面に空堀を掘り、自然の浸食谷と共に堀を巡らした形となっている。 三の丸に左右対象に曲輪が配置する縄張りは武田信玄が築城したときからものであると云われ、縄張りは信玄時代からほとんど変わっていないと考えられ、武田流縄張りを考察する上で興味深い。 なお、大井光忠の子光為により築かれた城は、現在の二の丸辺りとされている。 【城郭の歴史】 小諸城の歴史は「源平盛衰記」、「平家物語」等に登場する小室太郎が現城址の東方字当坂に館を築いたことに始まります。その後、大井氏が小室氏を押さえ、鍋蓋城を築き、やがて女城付近まで城域を拡張しました。 しかし、武田信玄の信濃攻略によて天文23年(1554)に落城。信玄はこの地が東信濃の重要地点であることに注目し、山本勘助、馬場信房に命じ、この小諸城を築城整備しました。 天下の勢力は変転し、織田,徳川,豊臣と領主が変わる中で、豊臣秀吉の家臣である仙石氏が城主となって、大手門,三の門,水楼などを整備しました。その後も、徳川,松平など六氏も城主が変わり、元禄15年(1702)からは牧野氏が城主となって幕末までと続きました。城の型としては空堀の平山城です。
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