
【現地への案内】
国道20号線桟敷交差点を北へ、県道63号線を焼く2km、宮村地区から約1km東
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【駐車場】路上駐車
【訪 城】2002年9月
【撮 影】2002年9月

| 評価項目 |
見所評価(三段階評価) |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★★ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
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【現地の状況】
東から西に続くなだらかな丘陵地に、東西約300m、南北70〜80mほどの城域に5つの曲輪を配置した連郭式の城郭である。
北は急斜面で浸食谷に落ち込んでいるがさほど高低差もなく、取り立てて要害と云うほどのこともない地形であるが、この北熊井城はこうした地形的な弱点を補うかのように、周囲に横堀を巡らし、南に対しては横堀を二重としている。
また、曲輪と曲輪の間には堀切,横堀等を配置するなど、完成度の高い縄張りを実現させている。中でも、主曲輪と考えられる第四の曲輪(西から四番目)の東側は三重の横堀とし、中央の堀は箱堀で深さが約8mほどにも及び、堀幅は15m近くにも達する規模で、圧巻である。
現在の遺構からは、武田系城郭の幾つかの特徴が見られ、天文17年(1548)に武田晴信(信玄)と小笠原長時・村上義清との間で行われた塩尻峠の戦いの前後に武田氏によって改修されたものと考えられる。
城域南部の外堀の一部は耕地され、消失している。
【城郭の歴史】
小笠原氏が南方の備えとして築城し、武田晴信(信玄)の占領後は松本盆地侵入の一拠点となる。81m×72mの本曲輪の東に三曲輪、西に二曲輪。空堀・居館跡・侍屋敷跡などがある。
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