| 北条(きたじょう)城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:南安曇郡梓川村大字梓城山 別 名 :西牧城 築 城 :鎌倉時代末期 初城主:西牧氏 区 分 :山城 遺 構 :土塁,竪堀,堀切 城 域 : − 標高 950m 比高 210m |
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【現地への案内】 梓川村役場から西へ約3km、若宮八幡宮 詳細位置はコチラ ![]() 【駐車場】路上駐車 【訪 城】2004年10月 【撮 影】2004年10月
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【現地の状況】 大宮熱田神社の南へ約800m、若宮八幡宮の本殿の右手に登城道があり、ここから山中に入る。東尾根を約30分ほど登ると右手に堅堀が現れ、ここから城域となる。なだらかな斜面あちこちに曲輪とおぼしき地形が認められるが、削平状態は自然地形に少し手を加えた程度で、これらの状態を見る限り、信濃における山城の遺構から推測すると天文年間以前まで遡るのではないかとの印象を受ける。 5分ほどで尾根筋が狭くなる一角に高低差を利用した虎口が認められるが、かろうじて土塁の存在を認める程度である。更に10分ほども登ると、なだらかな丘陵を利用して造られた広い曲輪に出る。西隅には雨乞いをするための鳴雷神の石碑が建てられている。 この曲輪を便宜上、三の曲輪とすると、北条城の曲輪配置は、この三の曲輪の南側に1条の堀切を挟んで主曲輪をおき、主曲輪から続く西側尾根に堀切を介して二つの曲輪を配置する連郭式の山城であるが、南側の斜面以外はいずれも急斜面をなしている。 三の曲輪から主曲輪手前の堀切に出ると、堀切から見上げる主曲輪の切岸高さは6〜7m、斜度がきつい上に足がかりもない。登城道は左手に180度ほど迂回すると、南尾根から登ってくる道と合流する。こちらの尾根筋は堀切土橋で処理されている。 主曲輪の周囲には2mほどの土塁が巡らされ、途中の東尾根の遺構よりもしっかりと築かれ、後年に改修されたであろうことが推察出来る。 主曲輪の西の堀切堀幅、および深さ共に圧巻である。この堀切を経て二の曲輪、更に堀切を介してなだらかな斜面と続くが、曲輪として使用されたかどうかは不明。 帰路、三の曲輪から登ってきた尾根とは違う東尾根を竪堀に沿って下りるが、この尾根筋途中まで降るととんでもない斜度となる。(^^; 以前、葛尾城(埴科郡坂城町)から姫城へ行き、姫城から下りた急斜面をも上回る斜度でとても真っ直ぐには下りられず、左手谷筋に迂回すると、なんと長大な竪堀が3条連続して配置されていた、とんでもないスケールの竪堀にビックリしたが、斜面のきつさにもビックリした。(^^; 結局、比較的なだらかな斜面を谷筋におり、再度尾根に出て、元登ってきた尾根を降った。 【城郭の歴史】 北条城はこの地方を支配していた西牧氏の居城である。西牧氏は戦国期、甲斐の武田信玄に属し、天文17年(1548)の塩尻峠の戦いでは仁科氏,山家氏等と共に小笠原氏を敗戦に追いやった。 天正10年(1582)武田氏滅亡後は小笠原氏を中興した小笠原貞慶によって滅ぼされた。この時をもって北条城は廃城となったと考えられる。 |
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