| 青柳城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:東筑摩郡坂北村青柳 別 名 : − 築 城 :戦国時代 初城主:青柳氏 区 分 :山城 遺 構 :堀切,土塁,石垣 城 域 : − 標高 907mm 比高 250m 県指定史跡 |
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【現地への案内】 国道403号線六工の信号を坂北駅へ、駅から約1.5km 詳細位置はコチラ ![]() 【駐車場】城址公園駐車場 【訪 城】2002年9月 【撮 影】2002年9月
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【現地の状況】 青柳城は四阿山の北西尾根先端のピーク、通称 "城山" に築かれており、青柳地区から見る山形は非常に急峻である。 この日は山城を廻ること4城目で少々、疲れ気味。清長寺へ行く手前の細い道を右に入り、迂回するような形で碩水寺の前を通り、搦手に車を乗り付けた。驚いたことに搦手は台地状の地形で、広々とした台地に野菜畑が広がり、城址公園として整備されていた。
搦手からは櫓門を経て尾根を一度降り、再度登ることになる。8つの曲輪と、7条の堀切があり、五の郭南側に石積みが残されている。また、西端の一の曲輪には布目積みと称される石垣が高さ2.5m、長さ6〜7mにわたって残っている。 一の郭からの眺望はすばらしく、まさに大パノラマである。 麓の清長寺は居館跡で、寺の名称は小笠原清長の名前をとって付けられているという。また、この寺は青柳氏の菩提寺でもある。
【城郭の歴史】 清長寺の館跡・その下の寺小路の両側の侍屋敷・青柳城山の山城を合わせた中世の城館である。始は坂北村全部と木村城の大部分を本領にしていた青柳氏の城であった。 小笠原氏滅亡後、武田信玄は川中島への拠点として改修し天文22年(1553)に、ここに10日間泊まっている。武田氏滅亡後は小笠原貞慶がまた川中島への拠点とした。 天正11年(1583)4月から翌年までの1年間小笠原貞慶と上杉景勝との間で、ここと麻績城と取り合いが4回繰り返された。天正15年青柳氏が滅亡して、小笠原氏の家臣松林氏が在番している。 実戦の行われた数少ない城のうちのひとつである、山城には武田・小笠原氏の改修により、各時代の特色が残っている。
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