| 上野城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:上野市丸之内 別 名 :白鳳城 築 城 :天正13年(1585) 初城主:藤堂高虎 区 分 :平山城 遺 構 :復興天守閣.石垣,堀 城 域 :1200m×700m 国指定史跡 |
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【現地への案内】 西名阪自動車道上野東または中瀬インターから約2km 【駐車場】専用駐車場あり 【訪 城】2001年 【撮 影】2001年
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【現地の状況】 現在の上野城には三層の天守閣(模擬)が建てられていますが、これは地元代議士・川崎克氏が私財を売却して建てられてたものです。模擬とはいいながらも天守閣は木造建築で、コンクリート製の模擬天守閣が多い中で、昭和最後の木造建築として名を残しています。 伊賀上野城の見所ですが、なんといってもお城の西側にある高石垣です。"井楼積み"(せいろうつみ)という工法で積まれた高石垣は水面からの高さが30mにもおよび、まさに堅城。徳川家康が豊臣方との合戦で危うくなったときには、この城に籠もり体勢を立て直すつもりだったと言われているのも頷けます。数ある日本のお城の中でもこの石垣の高さは大阪城の高石垣にも比肩し、日本一を競うものです。 この高石垣以外にも城中の至る所に見事な石垣が残っていますし、面白いのは天守閣の石垣の下に積み上げられているソフトボール大の石です。真意のほどは判りませんが、攻めてくる敵兵に向けて投げ落とすためのものだそうです。 【城郭の歴史】 伊賀上野城は、天正13(1585)筒井氏によって築城されたのが始まりとされています。その後、慶長13年(1608)に伊勢・伊賀二十二万石を与えられた藤堂高虎が、徳川家康の命により大阪方との決戦に備えて修築したものです。 当初、高虎は5層6階の天守閣を建てるつもりだったようですが、完成間近に台風のため天守閣は倒壊します。その後大阪の夏の陣で豊臣家が滅びたため、再建されることなく明治維新を迎えます。一説によると豊臣家の憂いがなくなった後の豪華な天守閣は、必要以上に徳川家の疑いを招きかねないとの考えから、自ら壊したのではないかと考えている郷土歴史家もいるようです。また、築城に際し藤堂高虎は伊賀忍者を利用し、全国百四十八の城の縄張り図を盗写して、それを元に築いたという面白い謂われなどもあります。 天正13年に築城された上野城は大和郡山城主筒井順慶の養子である筒井定次が羽柴の姓を賜り、この地に城を築いて大阪城を守るための城であったが、藤堂高虎が築いた上野城は大阪城を攻めるための城となった。 【一口メモ】 〜日本一石垣の高い城は何処か〜 ・伊賀上野城本丸西側石垣 29.5m(水面上23.5m) ・大阪城二の丸六番櫓下石垣 30m ということで、やはり大阪城の石垣が一番高いようです。(^^) 【その他の情報】 本丸南下の上野高校の校内には、土蔵造りの旧藤堂藩武器庫が修理されて、移築されているという。 |
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