| 滝川氏城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:名張市下小波田字下出 別 名 :小波田城 築 城 :天正9年(1581) 初城主:滝川三郎兵衛 区 分 :丘城 遺 構 :土塁,空堀 城 域 :150m×90m |
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【現地への案内】 国道165号線下小波田の信号を北入る 【駐車場】滝川氏城の虎口前空地に4〜5台 【訪 城】2002年11月 【撮 影】2002年11月
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【現地の状況】 滝川一益の出身地、近江・甲賀にも滝川氏城があり、どんな城かと楽しみに行くと、約60m×60mほどの単郭方形の曲輪はグランドに使われていた。(^^) 周囲には高さ3〜6mほどの土塁、また土塁の外周には空堀を巡らした伊賀特有の造りで、南西側は堀を挟んで二重の土塁としている。 北西と南東に二つの虎口を設けているが、南東側の虎口前面には半円形の馬出状の小曲輪が配されている。曲輪周囲には高さ1m弱の土塁もあり、武田特有の丸馬出と酷似しており非常に興味を覚えるところである。 しかし、伊賀にはこうした虎口前面に曲輪を配置した梯郭式の城は我山城や岩野城にも見られ、滝川氏城の小曲輪もそうした曲輪と同様のものと考えられるが、実に面白い。(^^) 地形を利用する形でこうした曲輪を造っているのであろうが、戦術的に虎口防御の曲輪として昇華させた武田の馬出とは一線を画しているように思える。 【城郭の歴史】 滝川氏城を築城したとされる滝川三郎兵衛は滝川一益の娘婿で北畠信雄に仕えたことから滝川信利とも名乗ったとされている。 滝川三郎兵衛は信雄の伊賀攻略の足がかりとして丸山城(上野市下神戸)を築いたが、天正6年伊賀豪族の攻撃を受けて退却。天正9年比自山砦を攻略後、柏原城を攻撃したが長期化したために滝川氏城を築いたとされる。 【感想】 曲輪周囲の空堀は土塁に付随したもので、築城技術から見ても伊賀における諸城と変わらず、天正9年に築城された織田系の城郭にしては稚拙さを感じた。 もう少し進んだ縄張りなら土塁と空堀とを交互に組み合わされるものであるが、拡大する領土と従う家臣の急激な膨張に織田のもつ築城術の共有化がなされていなかったのかとも感じた。 |
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