| 関氏正法寺山荘 |
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| 【城郭の概要】 所在地:鈴鹿郡関町鷲山字カマエ 別 名 : − 築 城 :永正年間(1504〜1521) 初城主:関盛貞 区 分 :居館 遺 構 :土塁,井戸,石組み排水路,礎石 城 域 :130m×120m 標高 110m 比高 30m 国指定史跡 |
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【現地への案内】 国道1号線から関町役場方面へ、小野川に沿って遡上 詳細はコチラ ![]() 【駐車場専用駐車場を利用、約10台 【訪 城】2004年9月 【撮 影】2004年9月
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【現地の状況】 関町にはいると北方に、山肌に幾つもの巨石をあらわにした特徴ある山が見える、これが羽黒山である。正法寺山荘はこの羽黒山の麓、小野川の右岸にあって、北〜東〜南の三方を小野川に囲まれる要害地形に位置している。 車で正法寺山荘の虎口前まで乗り付けられる。屋敷跡はきれいに整備されており、土塁,石組み,排水溝、および礎石を見て廻ることができる。 紅葉も多く、紅葉の時期にはお勧めかも・・・・・。 【城郭の歴史】 正法寺山荘は羽黒山を背にして三方を小野川の清流が流れ、自然の要害ともなるこの地へ関氏一族の武将関盛貞(号:可似斎)によって、永正(1104〜)の始めに築かれました。 戦乱に明け暮れる世にあっても、この砦は連歌師 柴奥軒宗長がしばしば訪れ、詩歌や茶の湯など風流の道でも交わりを深めています。 当時、小野川沿いは拓けた地域で、この正法寺をはじめ五つの寺院が堂宇を構えていました。のち、そのほとんどが廃寺となりましたが、瑞光寺だけは木崎町の現在地に移転再興され、関氏歴代の菩提所となっています。 昭和52年より10年間にわたる関町・国・県による発掘調査の結果、四棟の建物跡、整然と石積みされた排水溝、井戸などが検出され、また北宋銭、明銭、釘、瓦、天目茶碗、青磁、白磁、染付皿なども出土しています。昭和56年1月国指定史跡に指定されました。
関氏一族は平氏を祖とし室町時代鈴鹿川一帯に勢力を伸ばして、関氏を名乗るようになります。関氏の本城は亀山市若山の地にあって16世紀には神戸城(鈴鹿市)、国府城(鈴鹿市)、峯城(亀山市)、鹿伏兎城(関町)も一族で固め、関五家と呼ばれる北勢随一の土豪でした。 ここ関の地では京都大徳寺の末寺として砦を兼ねた正法寺山荘の創建や現在の町の基になる町作りに関氏は努力してきましたが、やがて織田・豊臣氏による全国統一の前に衰退の運命をたどります。 |
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