| 篠橋城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:桑名郡長島町小島 別 名 : − 築 城 :元亀年間か 初城主: − 区 分 :水城 遺 構 : − 城 域 : − |
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【現地への案内】 詳細はコチラ ![]() 【駐車場】道路脇に駐車 【訪 城】2003年11月 【撮 影】2003年11月
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【現地の状況】 長島城の北約2kmに位置し、現在では木曽川の西岸河川敷になっており、木曽川にかかる東名阪自動車道の木曽川橋のたもとになる。 【城郭の歴史】 元亀元年(1570)姉川の戦いで浅井・朝倉軍を破った信長に対し、石山本願寺の11世法主顕如は浅井・朝倉氏,三好三人衆、および甲斐の武田と手を結び、各地の本願寺の末寺に対し檄文を飛ばし対信長戦争への宣言布告が行われる。 この檄文には、「若し、無沙汰の輩は、長く門徒たるべからず候也」、つまり、“本願寺に協力しない者は浄土宗の門徒を破門する”として門徒衆に対し信長戦争への働きかけをする。顕如の檄文に呼応した長島願証寺を中心とした一揆衆は長島城を攻め落とすと、信長の弟・織田信興の尾張堀江城を攻め、織田信興を自刃に追い込む。 一揆衆によって弟を殺された信長は、元亀2年(1571)に第1次長島攻めを行う。翌元亀3年(1572)には本願寺と休戦するが、顕如はこの時期に門徒衆に命じて岐阜城の周辺に要害を築き街道を遮断する。 天正元年(1573)9月小谷城浅井氏を滅ぼした信長は、返す刀で第2次長島攻めを行い、桑名周辺の諸城を攻め落とすも、美濃への帰国途中に一揆勢の攻撃を受け、林新次郎等の家臣が討死。 伊勢長島一向一揆衆の殲滅に執念を燃やす信長は、天正2年(1574)7月嫡男信忠と共に7万という空前の大軍をもって第3次長島攻めを開始。7月13日には信長自身も出陣し、津島に陣取り圧倒的な軍事力で、まえの島,たろと島,市江島,鯏浦等の諸砦を焼き払う。これに対し、一揆衆は篠橋,大鳥居,屋長島,中江,長島城に分かれて対抗するが、信長は海上封鎖をすると共に兵糧攻めを行い、8月3日には大鳥居城、12日には篠橋城を落とす。これらの城に籠城していた一揆衆は長島城に追い込まれ、9月29日には一揆衆の最後の砦である長島城も落城した。 一向一揆衆は長島城を中心として、以下の城砦14ヶ所を築き対抗したとされている。
![]() ・一向一揆の詳細については、本願寺と一向一揆を参照下さい。 ・シンポジウム 長島一向一揆と尾張 講師:播磨良紀氏(四日市大学) 於 2003年9月28日愛知県清洲町民センター |
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