所在地:熊野市木本町字城山1751
別 名 : −
築 城 :大永年間(1521〜28)
初城主:有馬忠親
区 分 :山城
遺 構 :曲輪,石積み,堀切
城 域 : −
標高 153m
比高 150mm
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空地を利用
【訪 城】2007年10月
【撮 影】2007年10月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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平成16年7月7日に熊野古道と共に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された鬼ケ城の一画にあり、鬼ヶ城センターの駐車場から整備された山道を約20分ほど登ると鬼ヶ城の主曲輪につく。
この間、随所に石積みが見られ、主曲輪からは西には七里尾浜、東には大泊湾の海岸線の眺望が開け、城郭遺構と共に景色も楽しめる。
また、鬼ヶ城センターからは、隆起と風化と波の浸食によってできた奇岩奇勝が楽しめる周遊ルートもある。
鬼ヶ城については、「紀伊続風土記」の有馬荘の項に「産田神官榎本式廿四代の孫を有馬和泉守忠永といふ応永の頃近郷を凌奪し南阿田和村より北は木本郷新鹿遊木曾根荘二木島三木荘九木早田行野の諸村十六箇村を領し有馬村にニツ石の城を築き居城とし安楽寺を創建し応永三十一年に死す其子和泉守忠親継嗣なく其甥河内守忠吉を其聟養子として己は木本浦に隠居す」と記されており、築城は大永年間(1521〜28)頃と考えられている。
大永年間に熊野付近を広く領有していた有馬和泉守忠親が甥に跡を譲り、隠居するために築いたのが鬼ヶ城であるとされる。
その有馬氏も永禄元年(1558)新宮・堀内氏に滅ぼされ、変わって堀内氏が慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いまでこの地を治めた。 |
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■鬼ヶ城
三重県熊野市井戸町
波の侵食と数回の大地震で隆起した凝灰岩の大岩壁。距離にして約1kmの間に大小無数の洞窟が階段状に並んだ奇岩奇勝で知られる名勝。
■七里御浜
熊野市、南牟婁郡御浜町、紀宝町、鵜殿村
鬼ヶ城本丸からみた七里御浜
熊野灘に面して鬼ヶ城から熊野川河口までゆるやかな弧を描き、20数kmにわたって続く小石と砂からなる平坦な美しい海浜。「日本の白砂青松百選」「21世紀に残したい日本の自然百選」「日本の渚百選」に選ばれている。
■花の窟神社
花の窟神社は、神社とはいっても社殿があるわけではなく、かつての熊野の自然崇拝の有り様を現在に伝えている。いわゆる巨石信仰の一種。
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