
【現地への案内】
国道25号線(名阪自動車道)友生ICから県道56号線に入り東へ約4km、喰代地区正光寺を目当てに
詳細コチラ 
【駐車場】田圃の脇道に駐車
【訪 城】2003年7月
【撮 影】2003年7月

| 評価項目 |
見所評価(三段階評価) |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
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【現地の状況】
北田地区の東側・背後の山の尾根上に築かれているが、分かり難く、地元に人に尋ねると「奥戸城」のことかと言われ、地元では奥戸城として知られている。
登り口は舌状尾根の西側の田んぼの中の道を上り詰め、城域の東側から迂回する形で山に入る。
後年に削平されたと思われる削平地を抜けると、いきなり深さ3〜4mの薬研堀が出現する。城内側からは7〜8mはありそうな深さで、薬研堀だけに深さを感じる。伊賀においては箱堀が多い中、こうした薬研堀を見るのは珍しい。
この空堀を越えて東端から主曲輪内部に入る、曲輪の広さは南北約30m、東西約40m、周囲には高さ3〜4mの土塁を巡らせている。曲輪内部は竹が密生ししている上、荒れて歩きにくい。
北側と西側に虎口あり、北側は平虎口であるが、西側虎口は枡形状の複雑な構造を示している。枡形状の虎口は高さ2〜3mの土塁で形成され、広さ2mの通路が5mほど続くと右に折れ、道幅は4mほどに広がる、更に3mほど進と左右に空間が出現する。
この虎口、枡形と言えば枡形虎口であるが、伊賀においては主曲輪虎口部に小曲輪を設ける技法はよく使われており、奥氏城もこうした技法の発展形ではないかと考えられ、武者隠し的な要素が強いように思われた。
曲輪内部の南東隅には櫓台とも思われる高台がある。
【城郭の歴史】
「三国地誌」に吉田氏堡蓮池村とあるだけで、詳細不明。
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