| 峯城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:亀山市川崎町森字殿町 別 名 : − 築 城 :貞治6年(1367) 初城主:関五郎政実 区 分 :平山城 遺 構 :堀切,土塁,堀 面 積 :140m×300m 県指定史跡 |
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【現地への案内】 国道306号線川崎農協の北300〜400mの山林 【駐車場】農道に2〜3台 【訪 城】2003年2月 【撮 影】2003年2月
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【現地の状況】 滋賀県土山町山女原から安楽越,石水渓を経て、安楽川に沿って下る川崎地区の北側に位置しており、川崎地区民家の裏手の丘陵地にあたる。 川崎地区の川崎農協から300〜400m北の林の中に白い看板が見える、ここが峯城への登り口になる。 浸食谷を入っていくと、峯城への入り口を示す看板があるが、峯城の城域は白い案内板背後の斜面を登ったところから始まっている。急な斜面で登り難いが、山城好きの方にはこちらから上られることをお勧めする。 斜面を登りきると、2条の堀切と曲輪を経て本丸に至る。本丸の南〜西〜北は土塁をめぐらし、西側斜面は切岸で処理している。 伝天守台西側には帯曲輪を配し、本丸北側土塁の先は自然地形を利用した大きな空堀を配し、空堀を隔てた北側には、更に高さ0.7〜0.8mの土塁を伴った曲輪を配して、虎口も認められる。 城域には雑木が多く、全体のイメージが掴み難いが、どこにでもあるような山城の印象を受けた。 現在の地形を見る限り、天正11年2月、秀吉軍の大軍に攻められたにも関わらず、千二百人の守備兵で40日間以上も持ちこたえた城であるというのが納得できないが、当時は安楽川と八島川が峯城の山裾を洗う要害地形を利用して築城されたのであろう。
【城郭の歴史】 峯城は安楽川と八島川に挟まれた標高85m程度の丘陵地に位置する山城で、正平年間(1346〜70)に関盛忠の五男峯政実が築城したと伝えられる。以後峯氏の居城であったが、天正2年(1574)峯八郎四郎が伊勢長島で討ち死にしたため峯氏は滅亡した。その後は岡本宗憲が城主となったとされるが、天正11年(1583)羽柴秀吉の北伊勢進攻、翌12年小牧長久手の戦いの前哨戦により二度の争奪戦が繰り広げられた。 天正18年(1590)岡本宗憲が亀山城に移されるにあたり廃城にされたと伝えられる。 中心部の北・西・東側には高い土塁が廻り、一段高い土壇には瓦が散布していることから、石垣を持ち瓦葺きの建物が存在したものと考えられる。中心部の北にはいわゆる虎口も見られ、室町末期から安土桃山時代にかけての城郭の姿が良好に遺されており、中世城郭から近世城郭への過度期の状況が窺える全国的にも希少な例である。
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