所在地:熊野市有馬町字古城721
別 名 : −
築 城 :慶長4年(1599)
初城主:堀内氏善
区 分 :平城
遺 構 :土塁
城 域 : −
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JR紀勢本線有井駅から北へ約300m
詳細位置はコチラ

海岸寺の駐車場を利用
【訪 城】2007年10月
【撮 影】2007年10月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★☆☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★☆☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★☆☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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口有馬城は海岸寺の一帯とされ、海岸寺の背後JR紀勢本線沿いに高さ1mほどの土塁が残るだけで、現在ではこの地が交通の要衝であること以外、地形的にもここに城を築いた必然性が全く感じられなかった。
周囲は昔ながらの町並みであるが、400年の間に昔の面影すら消えてしまったのか。
口有馬城は北山街道が熊野街道(現国道42号線)と合流する位置にあり、熊野地方にあっては新宮と共に交通の要衝に地にあって、慶長4年(1599)に堀内氏善が築城したとされる。
堀内氏善は、天正2年(1574年)に父・氏虎の跡を継いで新宮城城主となり、信長死後紀州征伐をおこなう羽柴秀吉に対して、当初したが、天正13年(1585年)には秀吉に降伏して本領を安堵された。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、義父・九鬼嘉隆と共に西軍に属し伊勢へ侵攻するが、居城・新宮城を東軍の和歌山城主・桑山一晴に攻め落とされ京城に落ち延びた。 |
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■鬼ヶ城
三重県熊野市井戸町
波の侵食と数回の大地震で隆起した凝灰岩の大岩壁。距離にして約1kmの間に大小無数の洞窟が階段状に並んだ奇岩奇勝で知られる名勝。
■七里御浜
熊野市、南牟婁郡御浜町、紀宝町、鵜殿村
鬼ヶ城本丸からみた七里御浜
熊野灘に面して鬼ヶ城から熊野川河口までゆるやかな弧を描き、20数kmにわたって続く小石と砂からなる平坦な美しい海浜。「日本の白砂青松百選」「21世紀に残したい日本の自然百選」「日本の渚百選」に選ばれている。
■花の窟神社
花の窟神社は、神社とはいっても社殿があるわけではなく、かつての熊野の自然崇拝の有り様を現在に伝えている。いわゆる巨石信仰の一種。
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