| 福地氏城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:阿山郡伊賀町柘植字浦出 別 名 :城の腰城,福地城 築 城 :南北朝時代 初城主:福地伊予守 区 分 :平山城 遺 構 :石垣.空堀 城 域 :170m×220m 県指定史跡 |
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【現地への案内】 名阪自動車道伊賀ICの西約1kmの芭蕉公園 【駐車場】芭蕉公園の駐車場に6〜7台駐車可 【訪 城】2002年11月 【撮 影】2002年11月
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【現地の状況】 芭蕉公園駐車場横の階段を距離にして30m〜40m歩くと石垣が現れる。1辺50〜60cmの石を用いた見事な石垣である。湾曲した石垣に沿って進むと、本丸虎口に出る。虎口手前の左手には幅3〜4mの横堀を配し、横堀は曲輪の周囲を北〜東にかけて巡らしている。南西側には名阪国道が城域の一部を削り取って走っている。本丸は南北50m、東西25mの卵形で、周囲には土塁を巡らしている。
本丸に付随する曲輪群を西斜面に展開しており、城域としては150m四方を越える規模で伊賀にあっては規模の大きな城である。 この城の特徴は館と詰めの城が組み合わせて城としている点とされているが、西側の館跡は耕作されてしまい消失しているようだ。 石垣は本丸虎口部と本丸西側の曲輪といった主要部だけに使われているが、曲輪の石垣のうち2段目に積まれたものはバッタモンである。 【城郭の歴史】 芭蕉は福地氏一族の流れをくむといわれ、福地氏城の中にも芭蕉出生の地の石碑がある。 天正9年(1581)織田信長の伊賀侵攻に際し、伊賀東部の福地氏は織田方に味方し、伊賀侵攻の道案内をしたといい、信長公記には不破彦三をこの城に入れて警護に当たらせたとある。 |
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