| 阿坂城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:松阪市大阿坂町枡形 別 名 :椎ノ木城(北城),白米城(南城) 築 城 :応永年間(1394〜1428) 初城主:北畠満雅 区 分 :山城 遺 構 :土塁,竪堀,堀切,横堀 城 域 :180m×330m 国指定史跡 標高 321m 比高 250m |
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【現地への案内】 県道59号線、岩倉口バス停を西入る約1km浄眼寺へ 詳細はコチラ ![]() 【駐車場浄眼寺駐車場を利用、約10台駐車可 【訪 城】2004年1月 【撮 影】2004年1月
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【現地の状況】 阿坂城へは幾つかの登り口がある。高城の南側の脇道、あるいは浄眼寺の脇道を登ってもいけるようだが、大手道と考えられる浄眼寺から登る。こちらの道は浄眼寺に駐車場がある上、整備されており登山者も多い。
浄眼寺から比高差約200mを約30分で登ると、両側に竪堀を配した城域に入る。更に2分ほどで堀切に出る。この堀切は右手側斜面に竪堀となって落ち込んでいるが、林道のために寸断されている。この堀切、左手は横堀へと続いて曲輪周囲を巡っているが、笹藪のため全貌は確認できない。曲輪周囲だけでなく篠が多いが、有り難いことに北城主曲輪や南城、及び南城までの通路等、主要なところは綺麗に刈り込んである。 北城と南城の間に4条の堀切を確認できる、堀切に連動して2条の竪堀も確認。 北城,南城の主曲輪からの眺望は抜群、眼下東方に高城城を確認する。 北城の西側に張り出した曲輪が南北に二つあり、これら曲輪を守るように竪堀が左右に配されている。この三本の竪堀を合わせて6条の竪堀が畝状に北側緩斜面に配置されており、西側に防御に対する意識が高い。 【城郭の歴史】 一志郡嬉野町との境界に近い標高300mの山頂に築かれた山城で、南北300m、東西150mの範囲に及び、南北二つの郭からなり、北郭は175m×75mの範囲に土塁を巡らした台状地や堀切等を配しており、椎ノ木城とも呼ばれている。一方、南郭は白米城とも云われてきた部分で、上面が25m×30m、高さ約14mの台状地が大部分を占め、堀切と小台状地を伴っている。
阿坂城は文和元年(1351)の南北朝の争乱を伝える資料に初めて登場するが、最もよく知られているのは応永22年(1415)に北畠満雅が足利幕府軍を迎え撃った戦いで、阿坂城に籠城する北畠軍の飲料水を幕府軍が断つ作戦に出たとき、満雅は馬の背に白米を流して水があるかのように見せて敵を欺き、幕府軍を撃退したと「南方紀伝」は記している。 その後、永禄12年(1569)、大河内城に拠る北畠具教を攻略するため、織田信長は大軍を発し、8月26日、まず北畠の重臣大内氏の守る阿坂城を木下籐吉郎らに攻めさせて落としている。以後、阿坂城は使用されることなく廃城に至った。 なお南方紀伝には「両出城」があったとされており、それは現存する枳城(からたちじょう),高城城跡と考えられ、どちらも国指定史跡となっている。
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