
【現地への案内】
国道23号線から県道42号線に乗り換え、安濃川に沿って北西へ7〜8km、更に安濃橋を渡って北上すること約1km、阿由多神社へ
詳細コチラ 
【駐車場阿由多神社登り口付近の空地を利用
【訪 城】2004年9月
【撮 影】2004年9月

| 評価項目 |
見所評価(三段階評価) |
| 選地 |
★☆☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
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【現地の状況】
安濃城は安濃川の北、丘陵地の南西側斜面を利用して築かれている。比高差は50mほどか。丘陵地頂部の阿由多神社を主曲輪とし、東のなだらかな丘陵にかけて階段状に曲輪が広がっている。
城域の一部である松原寺の北側の山林から阿由多神社に向けて登る。安濃城の城域は広く、松原寺の南側にも曲輪が広がっている。
登り出すと、すぐに左右に曲輪が配置され、曲輪の周囲には低土塁が巡らされている。曲輪配置は寺院の坊跡のように登城道を挟んでいるが家臣団の屋敷跡か。中でも山林に入ってすぐ左手の曲輪には"折れ"を入れた虎口が認められ興味深い。
主曲輪である阿由多神社の鳥居北側には、空掘に土橋を渡し、虎口を経て主曲輪に入る構造となっており、現在の参道は後年のものと考えられる。
なお、緩斜面にありながら、曲輪の一つひとつを大きくとることで、曲輪間の切岸の高さ(3m〜5m)を高くしているのは意識的であろか。

【城郭の歴史】
安濃城跡は安濃川左岸の標高30mから59mの丘陵地に築造された平山城です。東西450m、南北350mの範囲に及び、中勢地域最大の山城です。国人領主の長野氏一族である細野藤光が弘治年間(1555〜1558)に築城し、その息子藤敦が城を拡充したと云われています。
城の構造は土塁と堀に囲まれた屋敷地(郭)が、阿由多神社の鎮座する郭を主郭とし、南北に2〜3つを1対とした2列の郭が並んでいます。この構造は「伊勢一国旧城跡附」に記された内容と合致する点も多いのですが、実際はこれよりも規模も大きく複雑になっています。
また、主郭の南西角には櫓跡があり、阿由多神社の境内には古井戸2基が残っています。この城跡は、規模、形態共に中勢地域では希有のもので、自然地形を巧みに利用した要塞でした。
この城は永禄11年(1588)に織田信長の伊勢侵攻の際に信長の家臣滝川一益に攻められましたが落城せず、織田信長の弟信包を養子に向かい入れ和睦しますが、天正8年(1580)の信包軍による2度の侵攻により落城しました。
その後、細野氏の子孫の一人は、江戸時代に京都室町の豪商荒木家となり、荒木光品が故郷の阿由多神社へ大般若経を享保20年(1735)に奉納しました。
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