所在地:京都市伏見区淀本町
別 名 : −
築 城 :元和9年(1623)
初城主:松平定綱
区 分 :平山城
遺 構 :堀,石垣
城 域 :450m×300m
標高 20m
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路上駐車
【訪 城】2000年9月
【撮 影】2000年9月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |

淀城は京阪淀駅の西側に位置し、京阪電車の中からも天守台石垣を見ることができ、京阪淀駅は淀城の内堀を埋め立てたところに建てられていると云った表現のほうが適切である。
淀城といえば、淀君のお城として知られているが、淀君の淀城は「淀古城」と呼ばれ、淀城から北へ500mほどの位置にあったとされる。
当時の淀城は北を流れる桂川を堀として取り込み三重の堀が巡らされていた。現在では内堀の一部と本丸と本丸天守台の石垣が残るのみで、当時難攻不落とされた淀城を想像することすらできない。
元和9年(1623)7月、廃城となった伏見城の廃城に伴い京都護衛の役目を担った城で、寛永2年(1625)にはほぼ完成したと伝えられる。
「淀古今真佐子」によれば二条城の旧天守閣や殿舎や姫路城の櫓なども移築されたという。当初、天守閣は伏見城のものが移築される計画であったが、行幸の為に新築計画が持ち上がった二条城の天守が移築された。この天守は伏見城のものより小振りであったため天守台に隙間ができてしまったという。
寛永10年松平定綱が美濃国に転封の後は永井尚政、石川憲之、戸田光煕石川総慶、松平乗邑が城主となり、享保8年に稲葉正知が10万石で入封した後幕末に至った。
慶応4年(1686)の鳥羽伏見の戦いでは敗走する幕府軍に門を閉じ、官軍の勝利に一役買う形となった。
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