所在地:南丹市八木町本郷
別 名 : −
築 城 :室町時代
初城主:内藤備前入道
区 分 :山城
遺 構 :石垣,曲輪
城 域 :350m×30m
標高 330m
比高 220m
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路上駐車
【訪 城】2000年11月
【撮 影】2000年11月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★★ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |

八木城はJR山陰線・八木駅の西に位置する通称城山(標高330m)の山頂から尾根全体に築かれている。
八上城,黒井城と共に丹波3大山城と云われるだけあって城域広い。山頂の主曲輪を中心として東,西、および北に延びる尾根があり、東尾根には、急斜度を利用した高低差5〜6mの曲輪を3段配置している。
なだらかな西尾根には多数の曲輪を配置し、その間3ヶ所に堀切を入れ、西端の堀切は深さ10mほどで、切岸の法面は石塁で固め、西側尾根への防御意識が強い。
一方、山の北側(京街道方面)の武家屋敷群を経て主曲輪に通じる谷筋道には、これといった防御施設はない。これは出城など位置関係によるものと考えられる。
八木城は、八木南西部に位置し、京街道を眼下に望む口丹波隋一の要害である。丹波国内では、八上城、黒井城と並んで三大城郭の一つと言われ、中世の山城としては有数の規模を誇る。丹後守護代内藤氏の居城として伝えられ、15〜16世紀に丹波地方の中心として機能した。
戦国時代、キリシタン武将としてルイス・フロイスとも親交のあった内藤如安は有名で、文禄・慶長の役のおり、明側との交渉に当たった。城は、明智光秀の丹波侵攻により没落したが、江戸時代に亀山藩が幕府に提出した絵図の模写によると、最高所の本丸は四方に野面積みの石組みが描かれている。
また、本丸の南西端に金の間と書かれた一段と高い部分が張り出しているが、これは天守閣の祖形と考えられる。
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