所在地:京都市左京区鹿ヶ谷大黒谷町
別 名 : −
築 城 :文明元年(1469)
初城主:多賀高忠
区 分 :山城
遺 構 :曲輪,土塁
城 域 :450m×250m
標高 466m
比高 370m
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国道161号線より皇子ケ丘カントリークラブ方面に登り、クラブの北約300m地点より登る。
京都側からは、慈照寺(銀閣寺)山門前から登る
詳細位置はコチラ

路上駐車
【訪 城】2002年3月
【撮 影】2002年3月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★★ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |

皇子ケ丘カントリークラブ近くから入山し、如意ヶ岳山頂(標高477m)から大文字山(標高466m)を経て鹿ヶ谷を結ぶ如意越えを辿る。
「如意越え」とは、鹿ヶ谷と大津の皇子山を結び、源平の時代から戦国期にかけて、比叡山の南を通過する「白鳥越え」「山中越え」と並び重要な幹線ルートとして使われ、如意ヶ岳の山頂から大文字山にかけては陣城としても度々使われている。
如意越えは林道と交錯しながら概ね林道の南側を通って、如意ヶ岳山頂に至る。山頂には宇宙船のような大阪国際空港の施設が建てられており、フェンスが行く手を阻む。ここで引き返すわけにも行かず、迂回路を探してなんとかスルー。
如意岳城の陣城遺構は如意ヶ岳山頂から大文字山の山頂にかけての尾根上約450mの範囲に築城されている。遺構を観る限り、戦国期の六角氏対三好氏、あるいは織田氏対浅井・朝倉氏の戦いの遺構が残っているように推定される。中でも中核部の横堀あるいは土塁は陣城遺構としては見事である。
城の歴史は定かではないが、
(1)応仁・文明の乱
(2)永禄年間の三好之長あるいは細川高国が使用
(3)大永年間〜享禄年間の細川高国が使用
(4)天文年間の足利義晴や六角氏が使用。
(5)永禄年間の足利義輝と三好氏の合戦時および、三好氏と六角氏の合戦時。
(6)元亀元年織田信長と浅井・朝倉氏の合戦時の使用
などがあげられる。
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