所在地:宇治市槇島町薗場
別 名 :真木嶋城,薗場城
築 城 :永久3年(1221)
初城主:長瀬左衛門
区 分 :平城
遺 構 : −
城 域 :200m×230m
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JR奈良線宇治駅の北約1km
詳細位置はコチラ

路上駐車
【訪 城】2007年5月
【撮 影】2007年5月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★☆☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★☆☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★☆☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |

槇島城は宇治川の西岸約300mほどの位置にあり、現在では宅地になっている。住宅地の中の小さな公園の一画に「此の付近
槇島城跡」の石碑が建てられている。
文禄元年(1592)豊臣秀吉が伏見城築城にあたり宇治川の流路を付け替えるまでは、旧宇治川が分流する中州にあったとされるが、当時の面影を偲ばせるものはなにもない。
槇島の地は宇治川の渡河地点であったことから、京への拠点として重要視されたためしばしば合戦の舞台となっている。
承久3年の承久の乱では後鳥羽上皇方が長瀬左衛門の軍勢500余名を槇島城守備に配置している。
明応8年(1499)の宇治・槇島の合戦では細川政元の攻撃を受けて落城し、細川政元が一時居城として使用。
天正元年(1573)第15代将軍足利義昭が織田信長に反旗を翻し、槇島城で3千7百四の軍勢で挙兵したが、織田軍に攻め落とされ、足利幕府は滅び去った。
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