所在地:亀岡市宮前町宮川
別 名 :神尾城,神尾寺城,本目城,本梅城
築 城 :大永6年(1526)
初城主:柳本弾正(賢治)
区 分 :山城
遺 構 :曲輪,堀切,石積み,井戸
城 域 :400m×100m
標高 434m
比高 234m
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金輪寺の駐車場を利用、7〜8台駐車可
【訪 城】1999年10月
【撮 影】1999年10月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★☆☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★☆☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |

神尾山城は宮川沿いに通る篠山街道(県道452号線)の西に位置し、半国山(標高774m)から延びる尾根の先端部に築城されている。
車で中腹の金輪寺まで登ることができ、本堂の横から山道を登り出すと、すぐに左手に階段状に配置された曲輪が確認できる。また、道が狭まり城戸と思われる所には石積みを見ることが出来る。
最高部の主曲輪から北、南、および南西の尾根筋にそれぞれ曲輪が配置されているが、土塁などは確認できず、切岸主体の山城である。
神尾山城は金輪寺をはじめとして、天台密教の霊場とされた山中にあり、坊跡を曲輪として利用した山城である。
大永6年、細川高国によって兄の香西光守が殺されたことで、波多野備前守稙通は八上城に籠もり、弟の柳本弾正には神尾山城を守らせたとされる。
天正7年(1579)には、丹波攻めを行う明智光秀は籾井城・籾井越中守を討った後は、八上城を攻めあぐね、敵方の荒木山城の高屋筑後を頼り本目(神尾山城)の西蔵院と愛宕山の大善院とを仲介として、母親を人質として八上城に送ることで和議を申し入れた。
和議のため八上城を出た波多野秀治・秀尚の兄弟を本目城(神尾山城)に招き入れた。安土城に連行した波多野秀治・秀尚の兄弟は信長によって殺害され、光秀の母親は八上城で磔にされ殺害されることとなった。
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