所在地:白山市三坂町
別 名 :別宮城
築 城 : −
初城主:鈴木出羽守
区 分 :山城
遺 構 :本丸跡,枡形門,堀切,土塁
城 域 :400m×1300m
標高 312m
比高 130m
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JR松任駅の南200m、おかりや公園
詳細位置はコチラ

専用駐車場を利用
【訪 城】2003年11月
【撮 影】2003年11月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★★ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |

鳥越城は手取湖から流れ出る手取川に沿って走る白山街道沿いにあって、西に大日川、東に手取川が流れる標高312m(比高130m)の鳥越山の山頂付近に築かれてる。
曲輪は本丸を中心に北に後二の丸、後三の丸、南に二の丸と三の丸を配置し、北端の後三の丸と南端の三の丸は堀切で独立した曲輪としている。
堀切で曲輪を独立させる配置は北条の城にも見られるが、北端と南端の2つもの曲輪を独立させているのは、いかにも、「進むは極楽、退けば地獄」と念仏を唱えながら戦った一向一揆衆の城らしい曲輪構成だと感じた。
本丸虎口は枡形虎口で、一向一揆衆の城で枡形虎口があるのはこの鳥越城だけではあるまいか。天正後期にもなると一向一揆衆にも築城の際に縄張りを担当する者が出てきたということか。
また、虎口は石垣で造りで模擬の高麗門が建てられている。この門がいかにも当時のものらしく造られており趣がある。
天正8年3月に石山本願寺の本願寺顕如は織田信長に屈し、永禄11年から約10年の長きにわたって信長の野望の前に立ちはだかってきた本願寺との石山合戦は終わった。
同年4月、加賀一向一揆の拠点である金沢御堂が柴田勝家によって落とされるも、頑強に抵抗を続けた鳥越城と二曲城も落城。
加賀を平定した柴田勝家は金沢御堂を尾山城(現金沢城)と改め、甥の佐久間盛政を入れ置いた。鳥越城には吉原次郎兵衛、二曲城には毛利九郎兵衛を入れて白山山麓の支配にあたらせた。
翌天正9年、一向一揆の山内衆は鳥越城、二曲城を奪還するが、佐久間盛政によって鎮圧された。
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