所在地:金沢市堅田町
別 名 :岩出城
築 城 : −
初城主: −
区 分 :平山城
遺 構 :曲輪,堀切,堅堀,土塁
城 域 :200m×100m3
標高113m
比高 約80m
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国道304号線旧道、医王病院の約200m東を北に入る、高台の墓地から
詳細位置はコチラ

墓地駐車場尾を利用、約6台駐車可
【訪 城】2007年3月
【撮 影】2007年3月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★★ |
| 普請 |
★★★ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★★ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |

山の斜面の一画に造成された墓地から案内板に従って山に入、南西斜面を登ること約10分ほどで堅田城の西の曲輪(仮称四の曲輪)に出る。この曲輪の西側には巨大な堀切と堀切横の斜面には6条の畝状竪堀がある。
他tぼりの形状もしっかりとしており、山城における防御パーツの見本のようである。
西から時計回りに斜面を迂回すると、北側斜面にも3条の畝状の堅堀を配置し、西〜北側の緩やかな斜面を防御している。
曲輪配置は西から階段状に4つの曲輪を連郭式に配置し、東端の4つ目の曲輪が主曲輪であるが、主曲輪は50m×30mほどで他の曲輪と比べても格段に大きい。主曲輪の削平状態は自然地形にわずかに手を入れた程度か。
主曲輪から北に延びる尾根を巨大な堀切で断ち切って、出曲輪を設け、出曲輪の北には更に堀切を入れ、中世山城の見本のようなつくりである。
東西に曲輪を配置した東斜面と南斜面は斜度がきついこともあって堅堀などの施設はない。
主曲輪北側尾根を堀切って独立した出曲輪を配置している構造は鳥越城と類似した構造で、一向一揆勢による築城ではないか。
「三州名蹟誌」、および「宝暦十四年旧蹟調書」共に木曽義仲の砦としているが詳細は不明。
南西約7kmには金沢城が位置していることから、天文15年(1546) に一向一揆勢が金沢御堂(現金沢城の地)を建て本願寺の拠点としていた当時の支城として築城されたのではないか。
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