所在地:白山市出会町
別 名 :府峠城・不動下城,燕城城
築 城 :戦国期
初城主:二曲右京進
区 分 :山城
遺 構 :曲輪、土塁,堀切
城 域 :
標高 268m
比高 120m
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国道360号線、あるいは国道157号線を南下し手取渓谷方面へ
詳細位置はコチラ

専用空地を利用
【訪 城】2003年11月
【撮 影】2003年11月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |
二曲城は白山麓の旧鳥越村にあり、大日川を挟んで鳥越城と相対する標高268mの独立峰に築かれた山城である。
天正期に加賀一向一揆方が最後まで抵抗を続けた鳥越城の支城で、鳥越城との距離は約1km。まさに指呼の距離にある。
山の西側駐車場から登城道が整備されており、15分ほどで山頂の本丸に着く。西の尾根には曲輪を配置しているが、本丸背後の東側は大日川を控えた後ろ堅固の城である。
防御施設としては堀切がある程度で鳥越城のような本格的な造りではなく、一向一揆勢がこの城に籠もって徹底抗戦したとは考え難く、鳥越城の背後を監視する砦として使われたのはなかろうか。
二曲城を築いたのは麓の館にいた二曲村の土豪二曲氏である。
永正3年(1506)越前の百姓一揆で敗走してきた藤島の超勝寺と和田の本覚寺が加賀国の門徒・土豪と結び勢力の拡大を図っていったが、加賀の三山(本泉寺,松岡寺,光教寺)は対抗。
本願寺は加賀三山の強大化は教団の統制を乱すものとして超勝寺に下間備中守を派遣し加賀三山の勢力を駆逐(享禄の錯乱)。これによって加賀一向一揆の支配は国人から本願寺支配と変わっていった。
本願寺方についた二曲右京進は、この戦いの中で勢力を伸ばし白山麓だけでなく、発言権は加賀全体に及ぶようになった。
元亀元年(1570)以後は本願寺から派遣された鈴木出羽守が鳥越城を築き、白山麗の要害化が図られ、二曲城は鳥越城の支城として三坂峠を押さえる役割を担った。
天正8年3月に本願寺顕如は織田信長に屈し、同年4月には金沢御堂が柴田勝家に攻められ陥落。一向一揆勢の中で最後まで抵抗を続けた鳥越城と共に二曲城も同年11月に落城した。
天正9年2月再度決起した一向一揆の山内衆は鳥越城、二曲城を奪還するが、佐久間盛政によって鎮圧された。
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